見出し画像

田原イコール物語20 再び自己解体の向こう側へ

自分とは、ある種の「設定」だと思う。自分らしいと感じるものを身近に引き寄せ、自分らしくないと思うものを遠くに追いやり、未来から訪れる様々な可能性から、自分らしさを尺度にして未来を選び取りながら生きていく。

人生が行き詰るときは、自分の設定と外部の状況が不一致になっていることが多い。外部の状況を変化させたり、自分の行動原理を微調整したりしながら、何とか突破しようとする。しかし、それだけではどうにもならないときには、自分の設定をいったんゼロリセットする。自分の設定が何を引き起こしていたのかは、設定を手放さないと見えにくい。なぜ、その設定が生まれたのか?何を優先していたのか?何にこだわっていたのか?が、設定を手放すと観察しやすくなる。

与贈工房、TORusの活動のエッセンスは、自己変容だった。東日本大震災で人生の危機に直面して変容した人たち、自己組織化コミュニティの作り方をきっかけに転機を迎えた人たちが中心メンバーだった。変容前の自分と変容後の自分がいて、変容前の自分を否定し、変容後の自分を肯定する傾向があった。それは、他者を見るまなざしにも影響していた。組織の中には、問題が起こったら、とことん対話してそれを超えていこうという機運があった。衝突や対立をきっかけにして、それぞれの思い込みや価値観を見直して、自己変容を繰り返していくと、どこにたどり着くのだろうか?という実験的な取り組みでもあった。

しかし、人間には変えやすい部分もあれば、変えにくい部分もある。僕は、よく忘れ物をするが、何度反省をしても、なかなか直らない。人間とはそういうものだ。だが、いったん組織の設定が、「対話によって自己変容を繰り返す社会変革集団」と定まると、まなざしがそこに設定され、自他をそのまなざしで捉えるようになる。組織独自の「正しさ」が内部に漂うようになる。やれるところまでやってみたが、危険な状態になってきたので、この設定を手放すときが来たのだと思った。

じゃあ、どうしたらいいのか?

設定を手放すとカオスになる。

カオスに浸ることで、論理ではない何かによる運動が始まる。その運動が、今は見えない未来へと自分を連れていく。

再び、その運動に身をゆだねることになった。

■クラウドファンディングはあと34日。44%達成

■田原イコール物語を最初から読みたい方はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?