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田原イコール物語21 橘川幸夫さんとの出会い

組織を卒業してカオスに入り、次の方向性を模索していたときに橘川さんと出会った。田口ランディさんから、「橘川さんって知っている?」と存在を教えてもらったのがきっかけだった。

橘川さんのリアルテキスト塾がZoomからも参加できるようになったということを知り合いが教えてくれて、Zoomから参加したら、

「魚は海を体内に内包して陸地に上がった。その末裔である人間は陸地に社会を作った。これから、人間は社会を内包して参加型社会に上陸するのだ」

みたいな壮大な話をしていた。自分も社会のプロセスの話を考えてきたけれど、生命の歴史に比べたら、自分は最近の話をしているなと思った。

社会の本質を考えて、自分の言葉で語って生きていこうと志したのに、現実の壁にぶつかって、こぢんまりしかけていた自分に気づいた。

橘川さんが、このあり方で70歳までやっていけているのなら、自分も何とかなりそうだと元気が湧いてきた。自分が歩いている道の先を歩いている人と、ようやく出会えたと感じた。

ちょうどその頃、橘川さんが『参加型社会宣言』という本を出版したので、組織を卒業して暇だったこともあり、「参加型社会宣言の参加型読書会グループ」を作ったら、200人ほどが集まってきた。参加型社会をやっていこうという本なんだから、読んで終わりにしちゃいけないと思った。そこで、Zoomで未来フェス形式の読書会を繰り返し行った。本を読んで感じたことを一人5分ずつ話して、その後で対話する形式。録画をFacebookにどんどんアップしていくことにしたら、1カ月間、ほぼ毎日、誰かが動画を上げることになった。

「Zoomは、人間が投稿されてくるな」と言って、橘川さんのテンションが上がってきた。僕は、これまでも、こういう形式のイベントをやってきていたんだけど、コロナでオンラインに新しく参入してくる人が増えたこともあって、新顔が多かった。

並行して田口ランディさん、佐野浩子さんらと一緒にYAMI大学が始まった。これは、橘川さんが、

「コロナは戦争と同じだ。戦後の焼け野原の闇市から美空ひばりが出てきたように、コロナの闇から新しい動きが生まれてくるはずだ。だから、何でもありの大学を作ろう。」

と言ったのがきっかけだった。闇市大学じゃかっこ悪いよねということで、YAMI大学という名前になった。

みんなそれぞれ学部を作って学部長になろうということで、ランディさんがシャーマニズム学部を作り、僕がよろめき歩き学部を作り、橘川さんは深呼吸学部を作った。

橘川さんは、平野友康さんと僕に遺産相続したいということで、平野さんのつながりの人、僕のつながりの人が集まって深呼吸学部がスタートした。

橘川さんの言う遺産相続について考えた。最初に思ったのは、自分らしさにこだわって、橘川さんのいろんな部分から自分に都合がよいところだけを選別して受け取るのはやめようということ。いろいろ受け取った結果、自分が違うものになっていったとしたら、それはそれでよし。受け取る器が小さければヒビが入る。でも、それは、器が拡大するきっかけだ。器以上のものを受け取るかどうかは、能力ではなく覚悟の問題だ。

橘川さんはアイディアマンだから、いろんなことを思いついて、「やろう!」という話になる。それを、とりあえず、片っ端から一緒にやっていくことに決めた。決めることで、見えてくるものがある気がした。

出会ってから今まで、橘川さんとのミーティングは、週2-3回ほどのペースでずっと続いている。この時代状況の中で、橘川さんは何を感じてどう動くのか、僕は何を感じてどう動くのか、時代と自分を重ねて生きるということを、一緒に行動しながら学んでいるのだと思う。

2022年に11年ぶりに帰国して、初めて対面で橘川さんと会った時の写真。

渋谷の喫茶店ではじめて対面した

コロナで自分の内面を見つめた人たちが、コロナ明けの今、動き始めているはずだ。まだ出会っていない彼らと時代を共有しながら、躍動していきたい。

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