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「私とあなたの間で生まれる小説」という可能性

2007年から2019年までの12年間で、私は10冊の本を出版した。ほぼ年に1冊のペースで出版してきたと言ってよい。

しかし、2021年に出版した『出現する参加型社会』の出版体験は、それまでの10冊とは、全く異なるものだった。かつてヤクルト・スワローズに在籍したバリバリのメジャーリーガー、ボブ・ホーナーは、「海の向こうにもう一つのベースボールがあった。」と語ったが、私は、まさに「もう一つの出版があった」と感じたのだ。

いったい何が大きく違ったのだろうか?

「売るためのノウハウで作られたプロの本」と「心のこもった手紙」の違い

これまでに書いた10冊の本は、すべて、それなりの規模の出版社から出した本だ。この場合、担当編集者とやり取りしながら執筆が進んでいくことになる。担当編集者は、「売れる本」を仕上げるプロだ。著者を発掘し、マーケットの状況に注意を払い、マーケットの需要に合わせた本を企画し、その企画に沿って書いてくれる著者を探す。著者の「書きたい内容」というものもある程度考慮するが、多くの著者は、マーケットの需要については知識を持っていないことが多い。だから、担当編集者が、著者の想いとうまく折り合いをつけて、「売れる本」へと仕上げていく。

著者のほうも、回を重ねるにつれて、この仕組みがだんだんと飲み込めてくる。担当編集者の提案を受けて、そのリクエストに応えるような原稿を書くようになると、物事はスムーズに進むようになる。「売れそうな本」を効率よく生産できる著者は重宝され、原稿の依頼が来るようになる。売れる本を書けるという意味での執筆スキルは上がっていき、だんだんと「プロの書き手」になってくる。しかし、それと引き換えに、最初の頃に抱いていた「これを書きたい」という新鮮な想いが次第に薄れてくる。編集者のリクエストに応じて、編集者の方を向いて、適切な原稿をすばやく書くようになってくるのだ。私も、回を重ねるごとに「プロの書き手」になってきていたように思う。

『出現する参加型社会』は、読者だけに向かって書いた初めての本だ。初心に戻って、自分が伝えたいことを伝えるために書いた。「1ブック1テーマ」という出版の常識があるが、『出現する参加型社会』は常識を破って書いた。この本には、コロナ状況の中で感じたことが、これでもか、これでもか、と詰め込まれている。「1ブック多テーマ」であり、担当編集者がいれば「この内容は5冊に分けて書きましょう」と言われて没になったかもしれない。でも、私は、今、感じていることを賞味期限切れになる前に、2021年中にどうしても伝えたかった。だから、全部1冊に詰め込んで出版した。

原稿を書きながら、クラファンを行い、読書会を行って、関心を持ってくれている人、応援してくれている人の声を聴き続けた。

まだ不完全な原稿を読んで、感想を教えてくれたり、応援してくれたりした友人がたくさんいた。

自分の書いた言葉を受け止めてくれる人の存在を感じたことで、本が出版された後に起こることを具体的にイメージすることができた。そのおかげで、「私からあなたへの手紙」として本を執筆することができた。これは、担当編集者のリクエストに応じて書いているのと、全く違う執筆体験であり、これまでの本と全く違う本ができた。

想いを乗せた本は、私の分身として読者に届き、様々な動きが生まれている。

「私とあなたの間で生まれる小説」という可能性

マーケティングをして「売れ筋」を発見し、それに合致したテーマで、一定以上のクオリティの商品を作るというのが「プロの仕事」である。

一方で、自分自身の問題を掘り下げ、そこで発見した普遍的なものをテーマに、同時代を生きる同じテーマにたどり着いている「あなた」へ向かって手紙を書くのは「素人の仕事」である。

橘川幸夫さんは言う。「手紙にはクオリティは関係ない。もらってうれしいかどうかだ。」

ここには、「読者への手紙」という「もう一つの出版」の可能性が存在する。個人と個人とがメディアによって直接つながる「素人の時代」の可能性が増大しているのだ。

YAMI大学深呼吸学部の学友の滝和子さんが、小説を書き、クラファンで出版支援金を集めて出版することになった。

この小説は、滝さんが人生で初めて書いた小説だ。滝さんの壮絶な人生がフィクションという形で表現されている。独特の迫力を持って迫ってきて、途中でやめられずに最後まで一気読みしてしまった。

小説で扱われているテーマは、いわゆる機能不全家族だ。家族内の抑圧構造や、本音と建て前などが、リアルに描き出される。形式はフィクションだが、当事者としての本物の感情記憶と結びついた描写が読み手の心を突き動かしてくる。体験した人じゃないと書けないであろう生々しさが、読み手をぎょっとさせるのだ。

彼女が体験したことが、同じ世代を生きる自分が体験したことと重なってくる。核家族化した団塊世代の家族内の闇を、自分自身も共有していることに改めて気づく。

原稿を読み、はらわたを揺すられて、何かを言いたくなった人たちが、Zoomに集まって語り合い、滝さんがそれを聞く時間が持たれた。参加型社会を目指す中で開発中の「ソーシャル編集」というメソッドだ。

自分が書いた小説が、手紙として相手に届き、はらわたを揺すったのだと実感した滝さんは、書く意欲を増大させ、さらに小説を書き足していった。物語が多層的で複雑に展開していった。この小説は、手紙を書いた滝さんと、それを受け取った私たちの「あいだ」で生まれたものだ。

私たちのはらわたを揺すった小説は、おそらく、同時代を生きている「あなた」にも、きっと届くだろう。そこには、この時代の真実のカケラが存在しているのだから。

この小説は、きれいに整えられてお客様に向けてパッケージングされた商品ではない。それは、プロの仕事だ。

「もう一つの出版」は、一人ひとりが、自分の人生の中で発見したことを、想いと実感と当事者性を詰め込んで、あなたに送りつけてくる手紙だ。あなたが、それを受け取って、あなたなりに考え、あなたなりの返事を送ってくれれば、そこから新たな関係性が生まれていく。

私は、一人ひとりが、自分が発見したものを、お互いに直接に報告し合う社会を作り上げていきたい。報告の手法の中には、小説という形を取る人がいてもよい。トップバッターの一人が滝さんである。次の人が出てくることを期待しながら、滝さんを応援したい。

滝さんの『抹茶ミルク』のクラウドファンディングは、8月30日まで。

滝さんからの手紙を受け取りたい人は、応援よろしく。

田原もリターンとして、読書会開催や、オンライン講演会を出しているので、関心がある方は、そちらを選んでください。

クラウドファンディングサイトを見てみる


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