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ウクライナ危機へ向き合うときに大切にしたい6つのこと

2月25日にロシアがウクライナに侵攻して戦争が始まったということを報道で知った。ロシア大使館の声明によると、戦争は8年前から始まっているという。いったい何が起こっているのだろうか?

事件は現場で起こっている。私たちは、現場から離れたところにいて、事件のことを伝え聞く。現場の事件と私たちの間には、メディアが挟まっている。私たちは、メディアを通して事件のことを知る。

各メディアは、様々な思惑で現実を切り取り、加工し、拡大して、私たちに伝える。1つのメディアだけを通して事件のことを捉えていると、そのメディアの思惑に気づきにくい。いつの間にか、その思惑に誘導されて、自分の視座が固定されてしまう。

戦争とは、それぞれの陣営が、それぞれの側の暴力を正当化するための論陣を張り、自分の側の正義に読者の視座を誘導するプロパガンダ合戦になるものだから、メディアの思惑も強烈になる。私たちは、その状況をリアルタイムで体験している。

ウクライナ危機に向き合うときに大切にしたい6つのこと

開戦から2週間たち、毎日のように各国の報道や現地のTwitter情報を見ながら、自分がどのようにこの状況に向き合いたいのかを考えたら、以下の6つが出てきた。

1)「分からない」にとどまり続けること

分からない状態は居心地が悪い。単純化して「分かったこと」にしてすっきりしたいという欲望を誰もが持っているだろう。だけど、多くの大切なことは表面に出てこないだろうから、結局は「分からない」。居心地の悪さを感じながら、様々な角度から考察しながら考え続けることを大事にしたい。

2)一緒に考えること

一人で考えると孤独になる。孤独になると辛くなる。だから、止めたくなる。考え続けるためには、誰かと一緒に考えることが大事だ。発生する様々な気持ちをシェアして、外部で起こっていることだけじゃなく、内部で起こっていることについても話せるといいよね。話す中で出てきたことが、また、考え続けるための大切な素材になっていく。

3)現状を長期的な視点、多面的な視点で把握しようとすること

今、目の前で起こっていることは、今、始まったことじゃない。そこに至る様々なプロセスがあったから起こっているはずだ。そのプロセスを知ると、目の前で起こっていることの見え方が変化する。右に揺れたり、左に揺れたりする。考え続けると、さらに揺れ続けるのだろう。だから、この瞬間に感じている「正しさ」が、絶対的なものではないことに気づくことができる。

同じ事件でも、立場によって感じ方が違う。その事件を意味づける文脈をそれぞれが持っているからだ。そのことに気づくことがとっても大事だ。自分にも立場があり、事件を意味づける文脈を持っていることに気づかせてくれるから。

4)私たちの社会システムに起こっていることとして構造的に理解すること

私たちは、地球という惑星に住んでいる生命体であり、人類という種に属しているコミュニティの一員だ。このコミュニティ内部では、これまでも様々な紛争があり、それによって命を落とした人たちもたくさんいた。

歴史を振り返ると、紛争には典型的なパターンや構造があり、同じことが、何度も繰り返されているように見える。人類コミュニティの一員として、紛争を止めたり、再発したりしないように行動するためには、社会システムのどこに、どのように働きかけたらよいのだろうか?

そのためには、まず、構造的な理解が必要になるだろう。これまでに繰り返されてきた紛争に共通する構造とはどのようなものなのかを考えて、とりあえずのたたき台ができたので、シェア。

国家紛争プロセスの構造(試案)

5)望ましい変化に向けての集合知へアクセスすること

情報発信をすると、情報が集まってくる。想いを発信すると、想いが集まってくる。

戦争プロパガンダは、情報や想いの増幅作用を利用しているのだろう。しかし、その増幅作用は、私たちも利用することができるものだ。

「望ましい変化をどのようにして起こすことができるだろうか?」という問いを発信しながら想いや情報を発信し、動き続けていると、その場に想いや情報が集まり、増幅作用によって渦が生まれていく。その結果、「よさそうなこと」が、少しずつ見つかっていく。その積み重ねによって発生する集合知に、誰もがアクセス可能になっていく。

6)戦争が起こらない社会システムについての洞察を得ること

逆説的だが、「戦争が起こりにくい社会システムについての洞察」は、戦争が起こっているときに、最も深まるものなのだろう。

第2次世界大戦の経験を通して、ドラッカーは、「戦争が起こらないようにするにはどうしたらよいか?」を考え、マネジメントという概念を作った。

同じように、ウィーナーは、「戦争が起こらないようにするにはどうしたらよいか?」を考え、サイバネティクスを考案した。

戦争を体験したからこそ、切実に、「どうしたらよいか」を考えたのだろう。今、戦争を体験している私たちも、同じように「どうしたらよいか」を考える切実さを感じているのではないか。

今回の戦争をきっかけに、今、世界中で、「戦争が起こらない社会システムとは?」という問いついて真剣に考えている人たちがいるはずだ。その世界的な集合知から、次の社会システムの萌芽が出てくるだろう。私も、その活動に参加したい。

所有概念をもとに個人の欲望をドライブして集団を統治する近代社会の方法論の限界が「戦争」という形で表面化しているのだとしたら、その方法の次を考え、社会実装していくことが、長期的に考えると戦争を消滅させていくことになるだろう。

今、生命の危機に瀕している人がいる。戦争が停止することは一刻も争う重要事項だ。そこに対する支援は不可欠だろう。それと同時に、この機会に発生した問題意識を深めて、戦争が起こらない社会システムについて考えていこう。

私たちは無力ではない。やれることは、たくさんある。

本質に目を向け、一歩ずつ、進んでいこう。






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