音楽と立体化

子供の頃から音楽に触れる機会は多かった。亡き母が育った伊丹市は宝塚の隣の市で、実際に歌劇団を志望していたという。諸事情で夢をあきらめたが、私(たち)の育児の合間によく越路吹雪のシャンソンを歌っていたし、ピアノもよく弾いていた。そういう環境だったこともあって、私自身も小二から小五までピアノを習い、また小学校でブラバンに所属しトランペットを教わったりしていた。中学受験の合格祝いはそのトランペット。その後ギターも購入したり、中三から高二までは同級生とバンドを組んでキーボードやギターを演奏することもあった。歌うことも大好きで、50の手習いで声楽の先生に付いて、「それっぽく歌えるように」ということを目標に、還暦手前まで五年間毎月通った。

演劇を楽しむようになり、総合芸術としての楽しみ方も学んだ。音楽が前提のミュージカルはもちろんだが、ストレートプレイであっても、音楽(や、舞台美術・小道具・照明・衣装なども含めて)の効果がいかに重要か、少しはわかってきたかなとも思う。

昨年末の紅白歌合戦。ジャニーズが一掃され、代わりにお隣の国の方々が多数出演していた。確かにボーダーレスという標語は決して荒唐無稽ではなく、相応に主旨は理解したつもり。YOASOBIは普段から大好きで、二人の言動も好感が持て、昨年来の世界を股にかけた大活躍は、もはやアニメが日本文化を超越したのと同じように(そのアニメと楽曲が密接に関連していることもあって)、まさにボーダーレスの象徴として彼らが登場し、アイドルを引き連れて作品を提供した様は、事実上のトリといっても良いような印象だった。

ダンスも含めてK-popのレベルの高さはわかったが、少し出場者が多過ぎた。昨年後半に聞いていた(自分にとって)新しいアーティストで、紅白で聴けて良かったのはMan with a mission +milet 。絆の奇跡は好きだな。鬼滅の刃は読んでいないけど、純粋に音楽として。でも去年、幾田りら+miletと共に出場したaimerが出なかったのは残念。

そのaimerは、昨年話題を呼んだNHKの「大奥」の終盤に流れる「白色蜉蝣」という曲を出している。その曲を紅白で聞きたかったな、との想いがある。この大奥、男女逆転の設定を通して、様々な問題提起を行っており、毎週楽しみに観ていた。ドラマの設定なので毎回終盤にクライマックスが訪れるのだが、そのクライマックスの演出に白色蜉蝣のイントロ、出だしの歌詞「100年 先 紡いだ世界で 光に消されて僕が見えなくとも 暗闇の中で輝いた希望は絶え間なく 胸を動かすから」が流れ、回を追うごとに心の揺らぎが大きくなっていた。病弱な家定が元気になり馬上から阿部正弘に声をかける場面。引退を決意していた正弘役の瀧内公美の涙。ここにあのイントロが重なり、滂沱の涙が流れた。

その大奥も原作は漫画であり、その意味では二次元の立体化がなされたということか。文学を演劇に起こすことが立体化だと聞いていたが、起こす先は必ずしも芝居でなくとも、音楽ということもある。YOASOBIのケースでも小説やアニメとのコラボがベースだからまさに音楽に立体化させたものであり、総合芸術の形が進化しているのかなと勝手に解釈している。

そのYOASOBIは、引き続きアニメコラボの楽曲を出している。これに対して、最新作のHeart Beatは違った形の立体化が進んでいた。18祭(フェス)というイベントで、全国の18-19歳が動画やテキストでメッセージをYOASOBIに送り、それを基にayaseが楽曲を創り、選ばれた1000人が半年コーラスを練習、一本撮りの本番でYOASOBIと共に演奏するというもの。そのドキュメンタリーをYouTubeで見て、これまた心が動かされた。

https://youtu.be/LX2nTwdOXRE?si=HgS0y3cnIDN3Ik5Z

若者たちがはじけている。心の扉を開放している。心音が聞こえる。
流れる涙をぬぐいながら。ぬぐいもせず拳を突き上げる人も。

彼らをここまで動かすのは何だろうか。

こんな歌詞があった。

誰かに貼られた 「らしさ」はいらない
誰でもない 自分の証 誇らしく鳴らせ

将来に対する不安はどの時代の誰にだってあった。でもひょっとしたら今の若者が感じている抑圧は、自分自身は果たして、望んだとおりの自分なのか、という処にあるのではないか。このプロジェクトは、彼ら彼女らの心の開放に向けた「始まりの合図」だったのだろう。

祝福や群青にもそのような歌詞がある。

誰かが描いたイメージじゃなくて
誰かが選んだステージじゃなくて (「祝福」より)

感じたままに描く
自分で選んだその色で(「群青」より)

そういう想いが多くの若者を縛っているとしたら、それはその前を生きてきた私たちの責任もあるのかもしれない。私の世代が彼ら彼女の年齢だった頃(45年前)には、今の人たちよりは閉塞感はなかったように感じる。それは何故なのか。当時の私たちに閉塞感がなかったのは、それに気づいていないだけだったのかもしれないな。様々な立体化の試みを通じて、時代が抱える課題に気づかされるということも、これはこれで素晴らしいこと。

大奥で描かれた女性の将軍たち。彼女らはその運命を受け入れつつ、どうやって歴史を紡いでいこうか、苦悩していた。白色蜉蝣はこういう歌詞で終わる。

忘れない すれ違って 信じあえた想い抱いて
届かない あの空まで 遠く遠く羽ばたくよ
届かない あの空まで 高く高く昇ってくよ


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