感情こそ「不増不滅の水」~足摺七不思議~「不増不滅の手洗鉢」のお話より
現在。葵祭(賀茂祭)は、京都三大祭のひとつ。約1400年前に起源をもつ優雅で古趣に富んだ祭り。総勢500名以上が平安貴族の姿で、京都御所~下鴨神社~上賀茂神社へと向かう行列が有名と紹介されている。
賀登上人の名に
「下鴨神社から上賀茂神社へ登る賀茂祭」
源氏物語「葵の巻」「六条御息所」が暗示されている。
足摺七不思議~「不増不滅の手洗鉢」のお話~
平安朝の中頃賀登上人とその弟子日円上人が補陀落渡海せんとした時弟子日円上人が先に渡海したので賀登上人は大変悲しみ岩に身を投げ、かけ落ちる涙が不増不滅の水となったと云ふ。
一緒に補陀落渡海した時、
賀登上人は、渡海できず。
弟子の日円上人は、渡海した。
なぜ、渡海できなかったのか。
賀登上人は自覚する。
六条御息所と同じように
私は、知らず知らずに「嫉妬」を発し続けていたのだと。
自身の嫉妬を認めたくなかった。
嫉妬する陰キャは、私ではない。 私は、陽キャラで在りたかった。
「嫉妬」を受け止める本体がないと「物の怪」になる。
私でないから、私の身体から離れる。
私が無自覚でいることで、嫉妬が生霊となる。
佛様に選ばれなかったはずである。
渡海できず当然である。
無自覚では、制御のできない生霊となり、
身体が無くなれば死霊となり、私がない怨霊となる。
今、ここで、私が産みだした「負の感情」を受け止めないと「物の怪」になる。本人が知らないところで、災いをまき散らす。
~賀登上人は大変悲しみ岩に身を投げ、かけ落ちる涙が不増不滅の水となったと云ふ~
賀登上人は、覚悟した。
自分自身、傷つくこと。
「負の感情」に全身で向き合い。「負の感情」を受け止めること。
そして、彼は、
自分が生んだ「負の感情」を認知して、向き合い、受け止め、無限責任を負う。
「感情」は、不増不滅の水
「自分」は、手洗鉢
怨霊を滅する賀登上人も又、佛様に選ばれた人。
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