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自分を縛っていたもの

きのうtwitterを眺めているとこんなツイートを見つけた。

ああ、自分のことを言われているようだ。本当はやりたいこと、自分の意思があるのに誰かに許可してもらわないと動けない。許可してもらえることを待っている。

狡い人間だ。

小さい頃からずっとそうだった。親の顔を窺い、先生の顔を窺い、否定されるのが怖かった。大人になってからも「あの人に認めてほしい……」という気持ちになることが多かった。

誰かに「いいよ。」「やりなよ。」と言われないと、できない。かっこいいふりをして、自分の責任で生きられない。他責で生きてしまう。

Runtripに入ってから、その性格、染み付いてしまった無意識の習慣ではかなり苦しんだ。本来、ルールなんてないのに、これをやっていいのだろうか…これをやったら否定されるんじゃないか…。自分はこっちがいいと思っているのに、踏み出せない。

自分の行動に許可者の存在が必要だった。

けれども、ある人の存在が自分にとって「そんなの関係ない?」と少し思わせてくれた。その人は超自由で、周りのどんな人にも自分の意志を貫いていて、世界中を走っている。

彼女の姿を見ていると、縛られるものなんて本当は自分が作り出してるんだと思った。

時間はかかるかもしれない。けれども、少しずつこの自分で作り出してしまった呪縛を少しずつ解いていこうと思う。

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