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怯まず前へ

大晦日の夕方、僕は仙台から1時間ほどかかる実家に帰る前に仙台駅の中にある本屋に寄った。

1月2日の箱根駅伝往路を見終わるまで実家にいる予定だったので、ゆっくりと箱根駅伝にまつわる本を読もうと思った。その時本屋の中を探して、手に入れたのが、12月初旬から友人たちがtwitterで紹介していた東洋大学・酒井俊幸監督の著書『怯まず前へ』だった。

僕自身は東洋大学を特別推しているというわけではないが「その1秒をけずり出せ」「怯まず前へ」といったフレーズはかっこいいと思うし、“東洋大らしさ”を追求する選手たちの走りには魅了されるものがある。

そして、この本を読もうと思ったもうひとつの理由は、ある2人との出会いだった。昨年9月、第87回箱根駅伝1区を走られた川上遼平さんにプライベートで偶然お会いする機会があり、大学、実業団時代のことを色々と聞かせてもらった。

また、昨年12月には仕事で柏原竜二さんのインタビューに同行させていただき、後ろの方で聞く機会があった。

そんなできごともあって手にとった「怯まず前へ」

ストイック、寡黙、クール。そんなフレーズが並べられる東洋大学、そして酒井俊幸監督だが、一体その中ではどんなことを考えてチームを動かしてきたのだろうか。

礼を正し、場を清め、時を守る

第1章では「礼を正し、場を清め、時を守る」というキーワードが出てきた。

2008年に起きた部の不祥事により、急遽東洋大学陸上競技部長距離部門の監督として招聘された酒井さん。2009年、第85回箱根駅伝で当時1年生だった柏原竜二さんが5区で驚異の走りを見せ初優勝。

その数ヶ月後、監督として着任したものの、当時は優勝するチームとしてのベースが整ってなく、生活環境を整えることで精いっぱいだったという。

初めて寮に行った日のことで覚えているのは、寮内が乱雑であったこと。
当時、監督不在で代行監督の佐藤尚さんも激務で寮にいることが少なく、統括する立場の人や汚くても注意する人がいない。
優勝すればトロフィーや盾、記念品をもらい、全国各地の陸上関係者、東洋大関係者からお祝いの花や品物をお贈りいただいていますが、それらがただ置かれているだけ、積み上げられているだけでした。優勝する前提がないから、飾るところがないのです。(p.21-22)

85回大会で初優勝を飾るまで、優勝争いに関わることがなかったというのは知識としては知っていたが、11年連続箱根駅伝3位という伝統を作り上げてきた東洋大学のようなチームでも、当時の状況を読むとそんな時代があったのか…と驚いた。

酒井監督は同大学の野球部を模範的な例として出しているが、生活態度と競技実績は比例するという。その場が汚れている、散らかっていると「心の乱れ」というのはよく聞く話だが、スポーツの場においても結果を出し続けるためにはそういうことが大切なのだと感じた。

おそらく、一回だけの結果を求めるなら生活態度が緩くても大丈夫なのかもしれない。しかし、常に結果を求められ、再現性のあるものにしていくとなれば、ベースにある心が安定している必要があるのだと思う。

ちなみに、この章でかわいいなと思った文章があるので紹介する。

寮内では水槽に熱帯魚を飼ったり、生花を飾ったり、外の花壇に花を植えたり植栽をしたりしています。選手にとっては癒しになっているようです。(p.23)

「え、女子力高くない???」と思ったし、「花のある生活とかQOL高すぎでしょ!!!」と叫びそうになってしまった。危ない。

日々は小さな奇跡で成り立っている

東北出身の僕としては、ここの場面を紹介せずにはいられない。

2011年3月11日に発生した東日本大震災により、甚大な被害を受けた東北地方。当時のチームには、酒井監督夫婦のみならず、柏原竜二さんを始め東北出身の選手も多くいた。

震災後、酒井監督が選手たちに投げかけたメッセージには胸を打たれた。

「日々は小さな奇跡で成り立っている。大きな奇跡を成し遂げようと思ったら、小さな奇跡に気づいて日々やるべきことをやる。生かされた者として、やらなければならない」(p.62)

当時も、このメッセージは報道されていたが、月日が経った今(それは震災からの時間、自分自身が高校生から今に至るまでの時間)改めて読むと、ぐっと胸に来るものがあった。

2011年1月の第87回箱根駅伝では、僅か“21秒差”で早稲田大学に敗れた東洋大学。東日本大震災を経て、勝つことへの使命感は一層強くなった。

迎えた2011年秋、学生三大駅伝の開幕戦「出雲駅伝」では1区に柏原竜二さんを起用。柏原さんは1区で6位とやや遅れをとったものの、続く選手たちが追い上げ初優勝のゴールテープを切った。

柏原の遅れをチーム全員で取り戻し、それまで「柏原頼み」が続いてきたチームから脱却したと酒井監督は語っている。それは、まさに柏原さん自身の「本気」がチームへ伝播した瞬間なのだと思う。

余談だが、RuntripMagazineで柏原竜二さんのインタビュー記事で、その年の箱根駅伝5区について「あの日の走りは“限界”ではなかった」と語っていたのには、後方で聞いてて思わず「ええ」と声をあげてしまった。

4年生の時の走りは「限界」ではありませんでした。次の日、ちょっと足首は痛かったものの筋肉痛はほとんどありませんでした。実際に体は重かったのですが、走ろうと思えば走れる。前年度までのひどい筋肉痛がなかったんですよね。
東洋大4年生時に自己新の柏原竜二さん「あの日の走りは“限界”ではなかった」」-RuntripMagazine

小さな変化を見逃さない

本を読み進める中で、意外だなと思ったのは選手への声かけだった。選手に対してストイックな声かけをすることで知られる酒井監督だが、意外にもそれは選手によって使い分けているという。

日々の観察で選手たちの性格を把握することも、アドバイスを送る上で大切です。
「頑張れ」と言うより「大丈夫だよ」と励ます方が良い選手がいれば「何をやっているんだ!」と檄を飛ばした方が燃える選手もいますが、たいていは「今日はいいよ」とか「いけるぞ」などといった、安心感を持たせるような言葉が多くなります。(p.113)

昨年9月、川上さんとお会いした際に「東洋大ってストイックなイメージが強いですけど、実際どうなんですか?」と聞くと、意外にもメディアに出ているイメージだけではないらしい。酒井監督は優しいし、意外とチーム内は自由な雰囲気だと語っていた。

たしかに、著書全体を通じて酒井監督の文章は柔らかいイメージがあり、言葉を選ばずに言えば「素朴」な雰囲気すら感じられた。

一方で、川上さんは在学中、酒井監督から練習で「無理だろ…」と思ってしまうようなタイム設定を告げられることがあったという。しかし、そのハードルを乗り越えて自信をつけられたことが、東洋大学時代に伸びた要因だと語っていた(このエピソードはtwitterでも語っている)。

酒井監督のひとつひとつの言葉の裏側には、小さな変化を見逃さず、選手本人がストレッチゾーンへと飛び出していくための仮説があると学んだ瞬間だった。

怯まず前へ

迎えた今年の第96回箱根駅伝。

東洋大学は総合10位と悔しい結果となり、鉄紺の襷が一番前を走ることはなかった。

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しかし、2区相澤の1時間5分57秒、6区今西の57分34秒を始め選手全員が怯まず前へ挑んでいく姿は変わらずにあり続けた。

1月3日の午後、大手町を歩いていると偶然酒井監督、選手たちとすれ違った。静かにその姿を見ただけだったが、顔には悔しさが滲んでいるのが見えた。

どうか、どうか来シーズンも怯まず前へ挑む東洋大学が戻ってくることを信じている。

P.S.「東洋大学陸上競技部長距離部門」をひたすらに愛する友人のnoteもこちらに紹介しておく。


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