Clubhouseって、この先どうなの・どうなるのについてを、自分なりに考えてみる。

何かと話題のClubhouse。日本上陸から2週間強ほどで、早くも「意識高い系ばかり」「Clubhouse疲れ」「一過性」といった、マイナス部分にフォーカスした記事・論調が増えてきた。

正直、自分自身も「飽き」や「疲れ」を感じる部分もあるけれど、同時に改めて「可能性」「ワクワク」も感じてはいるので、否定的・悲観的な予想については数多く出ている他の記事にお任せして、前向きな観点での「Clubhouse、この先どうなの・どうなるの」について、自分なりに考えてみたことを書いてみる。

■ 「Clubhouse疲れ」は、現実社会の疲れと同じ?

先週、「Clubhouseの本質的な特長と価値・可能性ってなんだろう、を自分なりにまとめてみる。」で

"「会話を軸にした、真のソーシャル・ネットワーキング・サービスなのではないかと、大げさではなく思う。"

と書いたが、1週間経って、その思いはますます強くなっている。

「意識高い系ばかり」と感じて「疲れる」人が多いのは、まさにClubhouseが「オンラインとオフラインの境界がない真のソーシャル・ネットワーキング・サービス」だからではないか、と思うからだ。

現実社会は、意識の高い人たちが活発に活動しているからこそ政治も経済も動いている側面が大きいし、現実社会のコミュニケーションは、気が合わない人同士で話をしたりその会話を聞いたりすれば当然、疲れる。

意識の高いと言われる人達が数多く、積極的にClubhouseに参加しているのは、コロナ禍で人と会う機会そのものが制限されている中で、その代替手段になるだけでなく、現実では絶対にありえないような形で、人と人の出会いが生まれ、コミュニケーションができるClubhouseは、ソーシャルなネットワーキング構築にとにかく「役に立つ」「役に立てる」から。

あえて平たく言えば、人によっては、使い方次第では、Clubhouseは従来のSNS以上に、そして現実以上に、圧倒的に使える」「すごい」のだ。

この出会い・このトーク内容って、現実に実現コストや価値を金額換算したらいったいいくらになるのだろう・・・と、想像するだけで頭がくらくらするようなルームが毎日、数多く発生しているのは本当に、驚きでしかない。

一方で、「流行っているから」「試しに」という理由だけだったり、「InstagramやTikTokの音声版」的なイメージでClubhouseを使い、ふらっとルームに入ってしまうと、合わない人には合わないし、目的以上に過剰に使い続けてしまうと「コミュニケーション疲れ」をしてしまうと思う。

それも理由は同じく「オンラインとオフラインの境界がない」からで、その自覚なしに参加するのは危険」とすら思う。

■ 見たくないものは見なければいいのでは。

Clubhouseのルームは、TwitterやFacebookのタイムライン・フィードと異なり、「ルームで語られている内容」は流れてこない。自分と合わないルームには入らなければいいだけで、本来は誰しも自分の意思でルームに参加しているはずだが、現在はサービス自体が始まったばかりでルーム数自体が少ないので、つい、自分の思考・嗜好とは異なる交流の「場」に参加してしまい、いわゆる「隣の芝生」が気になってしまうのだろう。

しばらくは、

意識高い系(と、呼ばれがちな人たち)は、ますます集まってきて、ますます積極的に活用していくと思う。コロナがおさまるまでは確実だし、コロナ明けも相当数、残るように思う。

なぜならば、繰り返しになるが現実では絶対にありえないような形で、人と人の出会いが生まれ、コミュニケーションができるという「日常+α」の価値があるので、その役割・価値はコロナ後も残るのではないかと思われるからだ。

逆に、場が合わない人はどんどん抜けていくと思う。今週あたりは、ますます「オワコン」と声高に、匿名で、つぶやく人がたくさん出てくると思う。

一方で、Clubhouseの絶妙なサービス設計のひとつとして、「意思を持って参加したい・つながりたい人達だけの声しか可視化されない」「その他はオーディエンス傍観者にしかなれない」があるので、いわゆる「外野」の声は本当に外野でしかない。

give & give」「三方よし」のようなキーワードが飛び交う今の「意識が高い」場の空気は、それはそれで、突き進んでいったら、本来インターネットが持っている可能性を最大化する存在にもなるのかもしれない、と思ったりもする。理想論かもしれないけれど。

■ 今後の成長・変化の可能性について。

個人的にいま、気になっているのは。「クラブ」の機能がいつ日本で広がるか。「マネタイズ」の仕掛けがいつ実装されるか、ということ。それ次第で、半年後、1年後のClubnouseはいまとはまったく違ったものになっているのかもしれないと思うからだ。

自分は特に英語が喋れるわけでも聞き取れるわけでもないのだが、「世界各国の、現地の人々の、リアルな会話がリアルタイムに聴ける」というのは「今までありそうになかったことだ」という刺激を感じていて、内容はまったく分からないけれども、時々あちこちの海外のルームに入ったり、試しにクラブ申請してみたりしている。

気がついたら、自分の「+Start a room」に以下の選択肢が追加されていた。

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どうも、クラブ参加が承認されると、クラブ参加者限定のルームが作成できるようになるらしい。

これは、「Clubhouse」というネーミングそのまま。中学高校の部活や、大学のサークルに近い、「クラブへの参加事前申請と承認」を前提としての、「クラブ内での、気心知れた・目的もニーズも合致した人同士のルーム」という使われ方が本来のサービス設計なのかもしれない。

ということは、今後、日本でもクラブの機能が広まってくると「意識高い系がどうこう」とか「疲れる疲れない」といった話も、少なくなってくるのかもしれない。目的やニーズが合わなくて不満を感じたり疲れを感じたりするルームは、互いに見えなくなるだけだから。

そもそも、Clubhouseがどうなるだけでなく、「声・会話」をベースとしたソーシャル・ネットワーキング・サービスは、TwitterもFacebookも検討中・開発中とのことなので、いまClubhouseで起きている現象・事象は今後、Clubhouse以外の選択肢含めもっと広まり、もっといろいろな使われ方が生まれ、発展も変化も、していくのだと思われる。

いつの間にか「GAFA」だったり「Twitter、Facebook、Instagram」が定着・固定化してしまったここ数年。久しぶりに大きな変化・変動が生まれそうという「期待」「ワクワク」という意味でClubhouseについてはやはり、しばらく目が離せないと思う。


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