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私にとって「写真を撮る」ということ


シャッターを切った時、世界は永遠になる。
その世界は自分だけのものになる。


カメラを向けた時、私は目の前の世界と一つになれる。
そしてシャッターが降りた瞬間、一瞬にしてその世界から切り離される。
そんな気がする。

世界と一つになる

街を歩いていて、何かに惹かれる。
私はそちらにカメラを無心で向ける。
構図を決める。絞りを決める。シャッタースピードを決める。ISO感度を決める。
そんな所作の間、私は目の前の世界と一つになれる気がする。

幾多の要素が魅せてくれるこの世界をその中に入り込んで感じることができる。
匂いも、温度も、湿度も、光彩も。
そこにあるもの・ないもの全てに対する感度が高くなる。
写真を撮り始めるまで気づきもしなかったたくさんの要素の美しいバランスでこの世界が彩られているんだと気づける。

永遠になる

ファインダー越しの瞳に映った世界を私たちは、「シャッターを切ること」で切り取る。
切り取った世界は私の中で永遠のものとなる。
目の前にあったものが一瞬にして過去のものになる。
なぜか目の前にあった世界が遠い遠い世界のように感じることさえある。

一瞬を切り取るとはそう言うことなのかもしれない。

そうして手にした永遠は、物理的な時間の永遠だけではない。
私たちの気づきを写真という一つのパッケージにした永遠でもあるのだ。

世界と一つになること、そして永遠になること。

目の前の世界の彩りに気づくこと。
そしてそれを永遠にするということ。

時折、永遠になった世界を振り返る時、撮影時に気づかなかった新たな気づきも得ることができるだろう。

しかし、私にとって写真を撮ると言うことはそのような気づきの連続である。
その事実に違いはない。

前の記事でも述べたことだが、自身を取り囲むものの大切さ・ありがたさ・美しさに気づくと言うことはとても難しい。
だが、写真を撮ることで私はその気づきを増やすことができる。その気づきを鮮明に、そして永遠にできる。

日々の生活に溢れる感動に気づくことができる。

私は写真を撮ることで、この世界は大切で美しいと信じることができる。
私は写真に出会えたことで、この世界の美しさをもっと知ろうと思う。
そう思って生きる世界は少し楽しい気がする。豊かな気がする。

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