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父の帰宅 41

そして引っ越しが開始された。業者に頼めば誰かが気づくのでそれは避けたい。マサは自家用車のパルサーで引越しすることに決めた。夜逃げしてしまえば簡単だが、いきなり息子が夜逃げして、翌朝仕事がある母親がそれに気づいて卒倒されたら困る。

だからあえてリスクの高い昼を選んだ。マサは新居へすべての荷物の運び込みを二日で終わらせた。一日目はギター二本、夏服、クローゼットの服など目に付かないものなどを二度に分けて運んだ。勝負は二日目だった。母親はその日は休みで、外出はしていたが、いつ帰宅するか分からない状況だった。祖父母は普通に家に居る状態だった。

今日の決行は止めようかとマサは悩んだ。しかし、自分の今の精神状態を考えると、悠長なことはいってられない。この日にかけるしかなかった。引越し二日目の詳細がマサによって書き残されている。

――昨日の時点ですでにデパス五錠を飲んでいる。今日は持つのだろうか、精神的にもそうだが体力的にもそうとうハードだ。鎖骨は大丈夫か、三半規管は? 最近目眩がひどくて平衡感覚を失って立っていられなくことがしばしばある。でも……、やるしかない、もうあとには引けない。まず、近くのホームセンターからダンボールをもらってきた。

ティッシュが詰められていたかなりでかいダンボールだ。これを六つ。後部座席に二つ、助手席にひとつ、あとはトランクに入れればすべてが収まる。そして引っ越し用に一番動きやすい服装を考えた。うえはタイトリストのタートル、下はデサントのジャージ、靴はニューバランス。これがベストだ。

デスクのなかのもの、さらに衣類、昨日の夜に用意していた食器類、ギターのアンプ。最初は書き出そうかと思ったが、あまりにも量が多すぎて自分の記憶力に頼ることにした。忘れてましたじゃ済まない、絶対に取りに帰るわけにはいかない。集中しろ、神経を研ぎ済ませろ。要らないものはここでおさらば。とにかく今の俺に必要なものは全部持っていく。生活必需品だけではだめだ、精神的に必要なものも絶対に置いていくわけにはいかない。集中しろ、そして焦るな。

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