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スティーブ・ジョブズは自分の子どもにiPadを禁止したのか?

教育関係者の中には、子どもにコンピュータを使わせないという根拠としてスティーブ・ジョブズが子どもにiPadを使わせなかったという話を持ち出す人がいる。私がこの話を初めて聞いたのは確か2015年ごろだったと思う。

しかし、この手の「神話」は、人から人、メディアからメディアに語り継がれていくなかで、たいてい独り歩きをしてオリジナルの話からどんどん変化していく。1人1台のPCがGIGAスクールとして学校に導入されたこの時期になっても、いろいろとバリエーションを変えて時々聞く話なので、ソースにあたることにした。ジョブズは実際に何と言ったのか?本当に子供には「全く」使わせなかったのか? 子供はそのとき何歳だったのか?

このジョブズの話の出どころは2014年にニューヨーク・タイムズのNick Biltonの署名記事だ。翻訳は正確を期しているが、原文も掲載しながら見ていこう。

タイトル スティーブ・ジョブズはローテクな親 (2014/9/10)
Title: Steve Jobs Was a Low-Tech Parent

https://www.nytimes.com/2014/09/11/fashion/steve-jobs-apple-was-a-low-tech-parent.html

この記事には他の様々なハイテク企業のCEOなどの話も混ざっている。そこからスティーブ・ジョブズに関連する箇所をすべて引用してみよう。

「しかし、2010年の後半、iPadの欠点について書いた記事を叱られた後に、ジョブズ氏が私に言った言葉ほど衝撃的なものはなかった。」
「『では、お子さんはiPadが大好きなんでしょうね?』私は話題を変えようとしてジョブズ氏に尋ねた。『彼らはまだ使っていません』と彼は言った。『私達は子供たちが家でテクノロジーを使用する程度を制限しています』」。
But nothing shocked me more than something Mr. Jobs said to me in late 2010 after he had finished chewing me out for something I had written about an iPad shortcoming.
So, your kids must love the iPad?” I asked Mr. Jobs, trying to change the subject. The company’s first tablet was just hitting the shelves. “They haven’t used it,” he told me. “We limit how much technology our kids use at home."
「私は思わず息をのんで、呆然としたような沈黙で応えた。ジョブズ家といえば、壁は巨大なタッチスクリーン、食卓はiPadのタイルでできていて、iPodは枕元のチョコレートのようにゲストに配られるという、オタクの楽園のようなものを想像していた。しかし、ジョブズ氏は、それとは程遠いと私に言った。」
I’m sure I responded with a gasp and dumbfounded silence. I had imagined the Jobs’s household was like a nerd’s paradise: that the walls were giant touch screens, the dining table was made from tiles of iPads and that iPods were handed out to guests like chocolates on a pillow. Nope, Mr. Jobs told me, not even close.
「私はジョブズ氏に、彼が作ったガジェットを使わずに子供たちが何をしていたのかを聞いたことがないので、彼らの家で多くの時間を過ごした「スティーブ・ジョブズ」の著者であるウォルター・アイザックソン氏に連絡を取ってみた。『スティーブは毎晩、キッチンの大きな長テーブルで夕食をとることを大切にしており、本や歴史などさまざまなことを話し合っていました 』という。『誰もiPadやコンピューターを取り出すことはありませんでした。子供たちは、デバイスに依存している様子はまったくありませんでした。』」
I never asked Mr. Jobs what his children did instead of using the gadgets he built, so I reached out to Walter Isaacson, the author of “Steve Jobs,” who spent a lot of time at their home."
“Every evening Steve made a point of having dinner at the big long table in their kitchen, discussing books and history and a variety of things,” he said. “No one ever pulled out an iPad or computer. The kids did not seem addicted at all to devices.

記事の中で、スティーブ・ジョブズが家庭で子供に対してテクノロジー利用の制限をしていた話に関連する箇所は以上だ。

この記事で実際にジョブズが明言しているのは次の3点だ。
 ・子どもたちはまだiPadを使ったことがない
 ・子どもたちが家庭でテクノロジーを使う程度(how much)を制限している
 ・壁に巨大なタッチスクリーンがあったり、食卓にiPadが敷き詰められているような家で、iPadがチョコレートのように配られるような家では「全く」ない(not even close、程遠い)

ジョブズは制限なしにテクノロジーは利用させないという、至極当然のことを語っているように見える。ただし、全くテクノロジーを禁止しているということではないし、ジョブズがどの程度制限しているのかを明言しているわけでもない。子どもたちがiPadを使ったことがないということはわかるが、iPad以外の機器の利用について何かを語っているわけでもない。家については、映画に出てくるような空想の世界を否定したに過ぎない。これだけの情報で「ローテクな親」というタイトルをつけるのは、読者のいささかセンセーショナルな反応を狙っているのではないかとも考えられる。

さて、ジョブズがこれを発言した時期について確かめよう。iPadの第一世代が発売されたのは2010年4月3日。2010年の後半ということは、おそらく10月〜12月を指すと仮定して、iPad販売から半年から8ヶ月が過ぎた頃だ。ジョブズには4人の子どもがいる。一番上のリサは、80年代のアップルのコンピュータ"Lisa"の名前の元となったくらいで1978年生まれ。2010年にはすでに大人なので、この話の対象ではないだろう。残りの3人は、1991年、1995年、1998年生まれ。2010年には19歳、15歳、12歳である。

一方、アイザックソンが語ったのは次の3点
 ・子どもたちは毎晩の夕食で本や歴史などさまざまなことを話し合っていた
 ・食事中にiPadを出した子はいなかった。
 ・子供たちはすべての電子機器に依存状態(addicted)ではなかった。

もちろん、家族や友人が集まる夕食の場で電子機器を取り出すのはマナーの良い行動とは言えない。良識のある家庭ならそのようなことはさせないだろう。親の友人が家に来たときに一緒に食事すらしないで部屋に引っ込むティーンエイジャーも多いなかで個人的にはこのような子育てが望ましいと思うし、私の感覚ではむしろ当たり前だと思う。ただ、この話についてはそれだけのことであり、iPadを食事以外の時間に使っていようが使っていまいが、親の友人が座る食卓で本や歴史の話をすることとはあまり因果関係がないようにも思える。それならば、iPadやスマホがなかった時代にはそのような光景が多くの家庭で見られたはずだが、夕食で本や歴史について語るような素敵な家庭が果たしてどれだけあっただろうか。

さて、記事から確かめられたことは以上だが、この話を引用した記事でこういうのが見つかった。

ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ
https://toyokeizai.net/articles/-/394337?page=2

この東洋経済の記事では「ipadをそばに置くことすらしない」とnot even close(そんなイメージからは程遠い)を誤訳しているうえに、「スティーブ・ジョブズの10代の子供は、iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていた。ジョブズは皆の先を行っていたのだ。」と述べている。iPadを使ってよい時間を「厳しく」制限するなど、ジョブズは言っていない。

そして、東洋経済を読んだのかどうかは知らないが、次のような記事があった。

「スティーブ・ジョブズは,なぜ自分の子供に iPad をあたえなかったのでしょうか」
校長室だより 角田市立桜小学校
http://www.kakuda-c.ed.jp/sakura-es/?action=common_download_main&upload_id=1122

「そのスティーブは,自分の子供たちには,パソコン,スマホなどの利用を厳しく制限していたことが知られています。なぜ,iPad を生み出した本人が我が子にはそれを与えず,利用を制限したのでしょうか。スティーブは,誰よりも,それらの機器がもつ害や危険性を知っていたからです。スティーブは,子供には iPad やパソコンなどを使わせず,夕食後は本や歴史など様々な世の中の事について,子供と話し合うことをとても大切にしていました。テクノロジーに関して本能的な才能があったスティーブですが,親としてはローテクを貫き子供たちの電子機器の利用を厳しく統制すべきだと固く信じていたのです。」

たまたま検索に引っかかっただけなので、ことさら特別にこれを批判したりする意図があるわけではないが、元記事には「厳しく」制限したとは書いてないし、スティーブ・ジョブズが機器のもつ害や危険性に言及したあとは見当たらない。それらは推測だ。親としてローテクを貫いたというのも、元記事から読み取ることはできない。あえていうなら元記事のタイトルだ。もちろん、ジョブズはiPadやパソコンを「使わせなかった」ということも言っていない。

ELEANOR CUMMINSが2018年に書いたこんな記事が見つかった。適当に検索してひっかかっただけなので、これをあえて選んだ理由は特に無い。

タイトル「業界の中の人たちは私達が使うように自分たちの製品を使っていない。それが私達に不安をもたらす。〜スティーブ・ジョブズは自分の子供にiPadを使わせなかった。私たちもそうすべきだ〜」
Title: Industry insiders don’t use their products like we do. That should worry us. -Steve Jobs didn't let his kids use iPads, and maybe you shouldn't either.- ELEANOR CUMMINS AUGUST 03, 2018
https://www.popsci.com/industry-insiders-dont-use-their-products-like-we-do/

「多くの人がジョブズの選択に驚かされたが、それには理由がある。自分の子供に使うことを禁止した製品の安全性はどうなるのだろうか?しかし、技術系の億万長者の選択は、それほど珍しいものではなかった。タバコ、食品製造、ソーシャルメディアなど、経営者や内部関係者は、言葉ではなく行動でさりげなく警鐘を鳴らしている。彼らの行動は、特定の消費財が子どもだけでなく、大人にとってもリスクがあることを示唆しているのである。」
"Many found Jobs’s choices startling—and for good reason. What does it say about the safety of a product if its creator forbids his own kids from using it? But the tech billionaire’s choices weren’t as unusual as they might seem. From tobacco to food manufacturing to social media, executives and insiders are subtly sounding the alarm in actions, if not in words. Their behaviors provide insight not just into the risks of certain consumer products to children, but to adults, too."

テクノロジー利用量の制限、子どもたちはiPadをまだ使ったことがないというたった2つの事実から、自分の子供に使うことを「禁止した」と話が拡大解釈され、話を広げてタバコや食品などの製品の安全性と絡めている。

次のブログでは、スティーブ・ジョブズが14歳まで子供に携帯電話を持たせなかったことになっている。これは、メリンダ・ゲイツの話と混濁して完全に話が変わってしまっている。

タイトル:「ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは子供が14才になるまで携帯を与えなかった」
https://www.kiritachiakari.com/why-bill-gates-and-steave-jobs-did-not-give-their-kids-mobile-until-they-became-14/

「彼らの子どもたちは14才になるまで、携帯は持たせてもらえなかった。中学生になって、クラスで携帯を持ってないのは、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの子どもだけ…というわけだ。」

これも私は何度か聞いたことがある。

枚挙にいとまがないのでこのあたりでやめたいが、学校関係ではこちら。ネットで見つかった高校の校長室だより。
http://www.school.umic.jp/maruko/files/H30gakkoudayori0726.pdf

ジョブズの言葉として次の引用をしている。


「子どもたちは、『スマートフォンやコンピューターについて過剰な心配をしている』と親に不平を言い、『同じような制限をされている友だちなんて、ひとりもいない』と、親に文句を言うが、私たちがテクノロジーの危険をこの目で見てきたし、私自身が経験しているから、子どもたちには、そういうことが起こってほしくはない」

ジョブズはこんなことは言っていない。New York Timesの元記事では、これはクリス・アンダーソンの言葉である。

学校関係では「ジョブズ 禁止」などと検索するとこんな言説が山ほど出てくる。

以上を受けて私が思うことはこれだ。テクノロジーを適正に使うためにはそこに何らかの制限があることは必要なことかもしれない。食事をするときに家族で団欒をすることは素晴らしいことだ。しかしそれを訴えたいがために嘘をついたり誇張をしてはいけない。

特に、教育者に限って言えば、教育者は美談を引用することが多いが、何かを教育的に主張するために情報を引用するなら、少なくともソースを確かめてほしいな、と思うのだ。

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