私の忘れられない患者さん。

 2005年の3月のある日。受付からの電話が鳴った。「先生、○○大学の地域医療連繋室からです。」「えっ?地域医療連繋室?」私は思わず聞き返した。○○大学は私の母校だ。でも地域医療連繋室が、いくらなんでも京都で開業してる私に用があるはずがない。

 「はい、院長の藤原ですが・・・・」
 「実は先生が大学におられたときに担当された、M.I.さんが、ぜひ先生にお会いして、意見を聞きたいとおっしゃっているんです。会っていただけますでしょうか?」

 正直、私はM.I.さんの名前を聞いても、すぐには思い出せなかった。数日後、今の呼吸器内科の主治医から分厚い紹介状が届いた。紹介状を数行読んだところで、私はすぐに思い出した。

 Iさんは僧帽弁狭窄症という病気で、私が大学にいた頃に何度か心エコー検査を担当したことがあり、私の外来へ通って来られていた50歳代の女性だった。Iさんが婦人科で入院されたときに、当時まだ新しい検査法だった経食道心エコー法の実験台になって下さったのだが、むかつき止めの麻酔薬を多めに静注してしまい、Iさんは眠ってしまわれたため検査は中止。Iさんは翌日の夕方まで眠り続けてしまわれた。私は心配で何度も病室へ足を運んだが、Iさんの寝顔を見て帰るだけであった。退院後私の外来へ来られたとき、そのことを謝ったのだが、「私のことを心配して見に来て下さったんですね。」と逆に感謝され、恐縮した覚えがある。

 Iさんは私が大学を離れてから、肺癌が見つかり手術をされた。しかしその後再発し、今度化学療法を勧められているとのこと。Iさんはその治療が根治のためではないこと、心臓への負担も予想がつかないこと、もし治療を受けなければ長くは生きられないこと、など全て説明を受けておられた。それでもIさんは、化学療法を受けるべきかどうか迷って、大学病院勤務時代にほんの数年、外来主治医を担当しただけの私のところへ意見を聞きに来られたのである。

 Iさんはお嬢さんに付き添われ、藤原内科にお見えになった。ちょっとやつれたお顔をされていたが、大学の外来でお見かけしたとおりの笑顔がそこにあった。

 私は正直に、「自分は癌の専門家ではないし、化学療法の心臓に及ぼす影響もよくわからない。ただご自身が納得がいけば治療を受けてみられてはどうか。」とだけアドバイスした。Iさんはそんなことはわかっていますよと言いたげな様子で、にこにこしながら、「あぁ、先生にお会いしてよかった。実はここに来る前にM先生(呼吸器内科の前任の主治医)にもお会いしてきたんです。M先生は、私のCT写真を食い入るように見ながら、『僕のお袋だったらどうするかなあ・・・・』と本当に親身に考えて下さいました。それがとってもうれしかったんです。」とお話しになった。

 何となくわかった気がした。

 大学の呼吸器内科の主治医は心臓のことはわからないから、循環器内科の主治医に相談しろと言い、循環器内科の主治医は、肺癌のことは呼吸器内科の○○先生に任せてあるからと言う。

「私は誰に頼ったらいいの?」

 Iさんはきっと見放されたような気持ちになったのだと思う。

 かくいう私も肺癌のことはわからない。でも私が担当医だったら、わからないなりに、呼吸器内科の担当医に相談に行ったと思う。結果としては同じかも知れないが、Iさんは、今の主治医にそうして欲しかったのだと思った。

 同じように病気の説明をしているようでも、患者さんは目の前の医者が自分のことを本当に考えてくれているのか、一瞬で嗅ぎ分ける。

 M先生は私の1年先輩。研修医の頃はいろいろと教えて頂いた。あの頃は未熟ではあったが、主治医として一人一人の入院患者さんの治療に関して全責任を負っていた。まさに真剣勝負。その意味で患者さんと二人三脚で病気を治療しているという実感があった。

 私は一生、Iさんのあの笑顔を忘れないだろう。大学では2005年から新しい研修制度が始まっているが、本当に親身になって患者さんのことを考えることのできる医者が、きちんと育つようにして頂きたいと、切に願う次第である。

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