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サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』を終えて

先月、1月29日にサミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』@神保町PARAの上演が終了しました。めちゃくちゃ辛い、と、めちゃくちゃ楽しいが合わさって、結果的に楽しいが上回りました。よかった。多くの方々のご来場ありがとうございました。全てがギリギリのところで、奇跡的に噛み合ったクリエイションだったと思い、振り返りです。

上演の経緯

『いざ最悪の方へ』は、ベケットの最晩年の短編小説です。字数としては2万字にも満たない短いものになっています。40分くらいで読めます。ただ、いわゆる小説、ではなく、全96の段落からなる詩のようなパッセージが続く作品であり、ベケットの一連の作品の中では「散文作品」と称されています。一応、小説の形式ではあり、しっかり文字は書かれているのですが、主体は失われ、誰が喋っているのかわからない、誰に向けて書かれているのかわからない(わかりにくい)。加えて、何かしら明確なイメージや事象はほぼ出てこず、ただ、ひたすら”ロジカル”に”最悪とは何か”を求め続ける文章……簡単に紹介をするとそのような内容でしょうか。

さて、いつかベケットを上演したいとは昔から思っていて、それは自分の作品がどこか”ベケット的”と言われたりもするからなのですが(本当かな?とは思いつつ)、それだけでなく一人の演出家としても、ベケットをやるのは必然的にチャレンジになるだろうな、と漠然と思っていて、ただ、やりたいけど中々チャンスもないし、わざわざやる理由もない、という状況が続いていました。

そんな中、巡り巡って『いざ最悪の方へ』をやることになりました。発端は昨年春、森美術館で開催されたChim↑Pom展のパフォーマンスに参加した帰りに、今はなき六本木SuperDeluxeの打ち上げ会場の定番だった中華料理屋「エイト」で、なんとなく知り合いたちとダラダラ飲んでいるときです。

その日の発起人だったダンサーのAokidやその友達たちと、批評家の渋革まろんさんも中華料理を囲んでいました。僕はまろんさんとは年に2回くらいこうして偶然会って、なんとなく近況を報告する、くらいの感じで、まろんさんは唯一と言ってもいいほど、僕に「演劇っぽい作品」をやって欲しいと言ってくれる稀有な方です。だからなのか、ベケットをいつかやりたいんですよね、と話すとまろんさんは、やって欲しい作品がある、と言って『いざ最悪の方へ』を紹介してくれました。

『いざ最悪の方へ』はそのとき初めて知りました。たぶん、今回の上演に来てくれたお客さんの様子を見ていても、初めて知った、という人は多そうでした。たしかに、そんなに有名な作品ではないかと思います。あとあと翻訳の長島確さんからも聞いたのですが、とにかくベケット作品の中でも語られる要素が少ない(非常に緻密に書かれているが、一方で使われている語彙が少なく、抽象的で、語り辛い)のと、単純に「読み物として難しすぎる」ため、批評なども限られるそうです。ただ、批評が少ないのは今回の上演を作るにあたって、たぶん良い方に作用したのかなとは思います。参照元が少ないので、自分達で考えるしかなかった、というか。辛かった要因でもありますが……。

話を戻して六本木の「エイト」からの帰り道、『いざ最悪の方へ』を読んでみたいなと思って、スマホを開いてAmazonで調べました。とにかく値段が高かった。絶版で、定価の2倍以上の金額になっていて、うーん、どうしようかな、と迷いつつ、そのときはアプリを閉じて、ただ、その後やっぱり気になって購入しました。そして、読んですぐ、これはやりたい、と思いました。

それからしばらくして、劇作家の岸井大輔さんから神保町に新しく劇場をオープンするから何かやらないか?と相談がありました。とりあえずZoomでもしましょうか、となり「ベケットやりたいんですよね」と話したとき、そのときの岸井さんは、そこまで乗り気ではないというか「いいんじゃない」みたいな感じだったと思います。ただ「ベケットの『いざ最悪の方へ』なんですけど」と言うと、岸井さんは「ぜひ、やろう!」みたいな。何かのスイッチが入ったようでした。出演者はどうしましょうか、となって「矢野さんとやりたいです」と伝えると、偶然にも会場のPARAで矢野さんがスタッフをしていたこともあって、とんとん拍子に話は進み、稽古場もPARAを使ってよいことになり、Zoomはたぶん10分くらいでお開きになった記憶があります。

ということで、上演に向けての著作権申請も奇跡的にクリアし、クリエイションが11月頃からスタートしました。(ベケットの著作権申請は、場合によっては1年返事来ないこともあるそうです……)

神保町PARA 下見 稽古の写真は一枚もなかった。。。

クリエイション

稽古はとにかく絶望と希望の繰り返しでした。だいたい矢野さんと2人です。毎回の稽古で、超絶的なテキストを前にして、やばい、やっとわかりそう!と思って、2人でいけるぞー!と思っても、次の稽古では、いや、やっぱダメだ……と思う。だけれども稽古時間が終わりに向かうにつれて、あれ、もしかして、いけるかも?となる。そして、やっぱり無理だ……となる。

一昔前の哲学書のように難解で、作者本人にしかすぐには解釈できないようなロジックで構成されたテキストは、小説として熟読するのは面白くとも、上演として俳優が喋るのは中々難しい、と、そんな当たり前のことに気づいたりもしました。とにかく「読む」という行為の前提で書かれている。ベケットはマルチメディアの作家でもあるので、ラジオドラマ、戯曲、映像作品、小説など、それぞれのメディアの特性を最大限に活かしている(と、これも長島確さんから聞いた受け売りですが)、うわ、本当にそうだ、とやってみて思いました。また、『いざ最悪の方へ』は一見するとヌトミック作品にも近い言葉がある(言う、とか、立つとか、そもそも反復することなど)、ただし、その理屈はまるっきり異なりました。ベケットはその全てに一貫した論理性が通っている。つまり、一見同じ言葉を反復していても、その全てにしっかりとした言語的な意味がある。ヌトミックのような言葉の反復は「反復という行為自体に意味がある=リズムを作って音楽を生み出していく」にあるので、言語の扱いが根本から違う。いわゆる音楽を生み出すとは、言葉の意味よりも感覚に訴える、といったイメージです。本作は、そうした普段の自分の演出を応用するのも難しい、という状況が続きました。苦戦。。。

そんな中、まずはハリウッドザコシショウのようにやってみる、から、最初のブレイクスルーが、はじまりました。ブレイクしそうで、しないのですが。でも、これは面白かった。たしか矢野さんがザコシショウの映像を稽古場に持ってきてくれて、ベケットと関係あるかわからないけど、こういうパフォーマンスがしたい、と言っていたのがきっかけだったと思います。とにかく大きな声と大きな動き!という、一般的に思い描くベケット作品とは対極にある要素かと思います。稽古ではめちゃくちゃ笑って「これはいけそうですね!」と、盛り上がり、序盤を「ザコシショウ演出プラン」として構成したりもしたのですが、結局ボツになりました。ただ、最終的な上演では一部、その片鱗が残った箇所があります。「フォーーーー!!!」と叫んだりとか。

その後も、ベケット×矢野さん×僕の異種総合格闘技は続き、いつまでもパンチはかすれるばかりで、永遠にゴングが鳴らないまま1ヶ月以上が過ぎていきました。作っては消し、作っては消し。希望が見えたようで見えず。矢野さんはひたすらに読解を続け、僕はひたすらに構成を考え続ける。チケットは売れていくし、追加公演は決まるし、アフタートークゲストはめっちゃ豪華だし、どんどんと失敗のできない状況に阻まれていくときの気持ちは、まさに”最悪の方”でした。

そんな稽古には、ヌトミックの深澤さん、長沼くん、かもめマシーンの萩原さん、PARAの旦さん、岸井さん、撮影の内田さん、そして翻訳の長島さんたちが、ちょいちょい見学に来てくれました。全然できていないときの稽古だったのですが、7人とも楽しそうに過ごしてくれたのが印象的でした。萩原さんは、僕らがダラダラ休憩をしていて、中々再開せず、もうやりたくないです、と伝えると「ベケットは、やりたくないよね(笑)」とはにかんで笑ってました。萩原さんはベケットの『幸せな日々』を上演していた先輩でした。今思うと、部活のOBみたいな感じの立ち位置ですね。長島さんからは、ベケットの著作権的な知識や、ベケットが意外とロマンチストだったのではないか、といった話をたくさん聞きました。ベケットはロマンチストなんじゃないか、というのは、僕も矢野さんも稽古で話していて、なんだか合点がいきました。『いざ最悪の方へ』も、色々と理屈をこねくり回したあげく、最後は急速に終わりへと向かいます(今風に言うと、急にエモくなる)。この辺の扱いをどうしようか、は、上演をする上での悩みどころですが、ロマンチズムを否定せず、いや、むしろここまでロジカルに極端に攻め続けても、最後に文学者としてのロマンチズムが出てしまっている本作は、文学が文学である理由なのではないかと、そんな風に思ったりもしました。

……と、時折見える光もありつつ、基本的には「できない/わからない」が続く稀に見る苦難の稽古だったのですが、本番2週間前くらいから流れが変わって、言葉が感覚的にわかってきて、あれ、と思うくらい、段々と上演ができてきました。本番2日前には、あれ、これは面白いと、ぼんやりと確信めいたものが浮かんできたような感じもありました。お客さんに披露した上演は、そんな稽古の末に誕生した4バージョン目くらいのものです。3バージョンくらいの上演が消えていきました。ただ、全ては意味のあるスクラップだった、と思います。3バージョンの残りは、微かに上演に組み込まれました。

演出について少しだけ。
超論理的なテキストに対して、最終的にはかなり感覚に依拠した演出が多くなったと自負しています。基本的に、演出が感覚に寄りすぎるとどこかで破城する(または出演者がついてこれなくなる)、というのが自分の経験則としてはあり、わかりにくいことでも、できるだけ言葉にする、出演者に伝える、という作業が演出においては大事であると思っています。しかし、本作においては、どれだけ感覚的な演出だとしても、元のテキストの強固な論理性がそれを受け入れてくれる、ような現象もありました。そして、その感覚的な演出(これはテキストを読んだときに「直感的に脳内で思いついた演出」という言い換えが最も近いと思います)すらも、「そもそもテキストの論理性の中に組み込まれていた」かのように、不思議と成立をしていく、そんな稽古が終盤でした。もう振り切ってベケットから抜け出そうとしても、結局ベケットだった、みたいな感じですかね。矢野さんは矢野さんで、独自のストーリーラインを作っていく作業もしていました。これは良い意味で演出家のことを信じ過ぎないというか「今回は、バチバチにやりましょう!」とお互い決めていたこともあって、演出家の引いたラインと、出演者の考えるラインが必ずしも一致してなくてよい、という考えが共通していました。そんな流れもあったからか、矢野さんは感覚的な演出(言葉にしづらいけど面白いと思える演出)の数々を一手に引き受けてくれました。もちろん、これは、ひたすらテキストに向き合っていた矢野さんの読解と、俳優としての圧倒的な技術があってのことだと思います。

『いざ最悪の方へ』 撮影:内田颯太


本番

色々な不安を抱えながらも小屋入りはやってきます。ここからは、音響&照明の櫻内さんも合流しました。このくらいになると、矢野さんは稽古中も楽屋でも「即攻元気」を飲み続け、僕は「市販のレッドブルを全種類制覇しよう!」という、ギリギリの状態をなんとか前向きなモチベーションに変換しようと、PARAから一番近い、入口が少しだけ坂のようになっているセブンイレブンに通うのも日課になりました。小屋入り前くらいから、僕は左足に謎の痛みが出てきて、矢野さんも左足が痛くなっていて「ベケットをやると左足が痛くなる説」も浮上しました。

矢野さんが飲み続けていた即攻元気。上位版の「即攻元気 高齢人参+」もあるようです。

今回、上演の中身は矢野さん、櫻内さん、僕の3人だけで、ほぼ全てを作り上げていたので、大学のサークル感とでもいいますか、顔見知りの3人で黙々と仕上げていくのは、なんだか文化祭のようでもありました。いや、PARAの柿落とし公演でもあったので、ほぼ文化祭でした。小屋入りからは岸井さんはもちろん、旦さん、青田さん、たまに堀切さんという制作チームもバタバタしながら、客席の配置を何度も検討したり(全然後ろの席から見えなくて、どうしようと思ったり。最終的には、岸井さんによる数学的に神がかった配置で解決!)と奮闘でした。

そうして、なんとか初日が開幕してからは、辛さを忘れ、ついに楽しさが打ち勝ち……怪我もなく千秋楽を終えました。

千秋楽が終わると、謎の痛みを発し続けていた左足のしこりが消え去り、疼いていた口内炎もなくなりました。僕と矢野さんは「俺たちやったね」と、甲子園球児が試合を終えたかのように抱きしめ合いました。あぁ、やっと終わった。という開放感が身体中を駆け巡って、ちょっと泣きそうになるくらいには。

今回のクリエイションは、全てがギリギリのところで噛み合った、奇跡的なものだったと思います。本番の2週間前、このままでは失敗すると思ったし、うまくいかないと何度もギリギリの状態を過ごしましたが、なんとか良い上演、少なくとも劇場の柿落とし公演としては、客席も満員で、物販で用意していた『いざ最悪の方へ』の書籍は即完し、全てのアフタートークも良い形で終えられていたので、そうした意味では成功といえるのではないかと思っています。

矢野さんの胆力や、岸井さんや旦さん、青田さん、堀切さんの制作チームの力もあると思いますが、思い返すとなにより客席に助けられたのが大きかったと思います。

千秋楽では同世代の贅沢貧乏の山田さんも観にきてくれて、ベケットで満員になる劇場見て、希望だね、という話をしました。そう、希望だった。どうして今、演劇を上演するのか、わからなくなっていたとき、ベケットを楽しみに見ている人たち(しかも半分くらいが自分よりも若い人たち)の姿を大量に見て、まだまだ劇場に意味はあるんだ、と率直に思いました。劇場が演劇が、わかりやすい社会的な影響力を失い、わざわざ劇場で何かをやることに、どこまで意義があるのか、作家である自分もよくわからなくなっていた昨今、もちろん当面、劇場がニッチなものであることに変わりはないと思うけれど、劇場で何かを考えること、わからないものに触れること、触れたい人が、まだこんなにもたくさんいるんだ、という事実に感動していました。客席の熱量が高かった、と思います。それは、立ち見もたくさん来てくれたという人数的な意味もありますが、なにより、見ることに対しての諦めを、ほとんど感じなかった、ということでしょうか。客層が若いだけでなく、おそらく演劇を見るのがはじめての人、これまで自分の作品と関わりのなかった人が、とても多かったと感じています。どこのお客さんなんだろう?と不思議に思いつつも、熱狂的に見てくる人から、わかんないなーという感じで見ている人、難しそうに腕組みをしている人まで、ともあれ「演劇を見る」ということを、何かしらの形でポジティブに考えている人たちが集まってくれたような気がしました。全員が全員そうではないと思いますが、それを肌で感じられたのは希望の一つだったと思います。

加えてもう一つ個人的なことでは、久々に見に来てくれた知り合いも多かったのが素直に嬉しかったです。それなりに長く続けていると、お客さんの入れ替わりもあったりするものですが、開演前に予約リストを眺めていて、あっ、あの人も来てくれる、というのが結構あり、久々に気にかけてくれた感じが、本番のモチベーションに繋がったりもしました。ありがとうございます。

劇場の柿落としという実感は、初日まであまりなかったのですが、アフタートークの長島確さんと岸井さんのトークを見ていて、2人が楽しそうにベケットの話をしていて、それをお客さんがワクワクしながら聞いていて、あっ、劇場いいな!と、素直に思えた瞬間もありました。こうして、知らないことを知ること、は、面白いんだ、と、言葉にすると簡素ですが、こう何かとバタバタした毎日を過ごしていると、そう思えることは貴重で、それは劇場だからこそできることだと、岸井さんが劇場を作る意義もわかってきました。客席のチケット代が6,000円で、これはお客さんが入らないんじゃないか……と戦々恐々としていましたが、最終的には満員で、岸井さんの予想凄まじく。

ちょっとだけ宣伝ですが、『いざ最悪の方へ』の上演は、結果的に矢野さん、櫻内さん、僕の3人だけで全ての中身を完結できるとてもコンパクトなものになりました。80分程度です。劇場でも、そうでないところでも、3人で、車一台で身軽に動ける作品なので、もし上演したい、という方がいたら、ぜひお声かけください。またやりたいと、個人的には思っています。いざやるのは、また、大変だと思いますが……良い作品ができたと思います。指定の多いベケット作品の中で、あまり指定がない「発話」に対して、音楽的に特化してアプローチしたのが、新鮮に受け取ってくれたベケット好きなお客さんも多かったです。

そして、作品を見ていただいた方は、何よりも矢野さんに圧倒された方が多いかと思います。矢野さんの俳優/パフォーマーとしてのロジカルな思考と、それを実際のパフォーマンスに落とし込む技術は唯一無二で、あくまでもロジカルに考えているところが、最終的な上演が「わからなく」とも、強度を保ち続けられる理由なんじゃないか……とか、それらしく考えましたが、これは矢野さんがもっともっと知られてから、誰かに一冊「矢野昌幸 メソッド本」を書いてもらうのがよさそうだなと思いました。電車の広告でも日々矢野さんが見れる毎日ですが、たくさんの演劇はもちろん、映画やドラマにも出て欲しいと、矢野ファンとして思う次第です。そんなに僕が語れることは多くないですが、すみません、一つだけ、矢野さんの「人間の弱さを伴った身体」をそのまま舞台上に上げられることは、これからの演劇の身体性を語る上で大事なとっかかりになるんじゃないか、と一作家として思っています。何かしら強い身体(あるいは「弱く見せようとする身体」)で上演が作られてきた中、ここまで弱いという事実を伴った状態で人前に曝け出せるのは、何かの突破口になるんじゃないか、と……。なんなのかは、まだわからないのですが、ずっと見てられる身体、というか。これは次の課題として取っておきます。

ということで長くなりましたが、矢野さん、櫻内さん、PARAチームの岸井さん、旦さん、青田さん、堀切さんはもちろん、上演に関わってくれた方、アフタートークゲストの方々、やって欲しいと言ってくれたまろんさん、などなど、本当にありがとうございました!演劇を続ける上で、とても大事な地点になったと思います。以上、『いざ最悪の方へ』振り返りでした。

額田大志、矢野昌幸、櫻内憧海@神保町PARA 2023年1月29日の千秋楽後にて

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