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矛盾し錯綜し赤く染まって発展した沿線

原武史『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』(2012 新潮社)を読んでいる。

テーマである戦後武蔵野の原野を開いて宅地化を促した西武鉄道沿線という矛盾込みで錯綜し発展した文化圏がすごく面白い。

西武グループの創業者・堤康次郎は社会主義を嫌い社内に労働組合も作らせなかった新米反ソの人物だったが、西武鉄道沿線の土地を開発するとともに当時の住宅不足に応えるため、
沿線には日本住宅公団や東京都住宅供給公社による団地という非常に均質で「社会主義的」建築物が大量に建てられた。

しかし団地という箱だけがあっても、増える人口に対して交通網・通信設備・学校・図書館・保育所・公園・商店など生活のためのインフラが欠如していたため、団地住民は主婦を中心に団結し自らで問題を解決せざるを得なかった。

そんな清瀬、久留米、保谷、東村山などの西武鉄道沿線の大規模団地の住民たちが60〜70年代の日本共産党の躍進を支えた。

1960年の皇太子夫妻のひばりが丘団地訪問や、都心のボロ長屋に対して「団地には文明がある」というアメリカ式洋風生活イメージの幻想は、団地という建築そのものが備えているソ連的コミュニズムを上書きすることができなかった。

そんな新米反ソの創業者が敷いたにも関わらず赤く染まった路線沿線に、手塚治虫(トキワ荘)、宮崎駿(『となりのトトロ』)、羽仁説子・壺井栄・いわさきちひろ・丸木俊らの『新日本婦人の会』、堤康次郎の次男であり小説家の辻井喬(=セゾングループ創業者の堤清二)、他にも多くの小説家や思想家が錯綜してくる。

また多くの霊園やハンセン病療養所、宅地化の波に埋もれてしまった被差別部落など「穢」や「病」にまつわる土地、さらには米軍基地もいくつも点在し、一筋縄ではいかない文化圏を形成し現在につながっている。

今後状況が落ち着いたら集中してフィールドワークをしたい候補地。

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