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池袋の家電量販店で、宗教勧誘されかけてブチギレた話。“正義感”って一体なんなのかについても考える。


出典:いらすとや

先週末の話。

池袋のヤマダ電機でガンプラ用の塗料を見ていたら、20歳そこそこのスーツ着た二人組に話しかけられた。

男A「すいませ〜ん。今って、ミニ四駆流行ってるんですか〜?」

最初オレに話しかけているのか理解できず、目があって初めて気付いた。

オレ氏「…はぁ。流行ってんじゃないですかね?」

男A「ですよねぇ〜。お兄さんはガンプラですか? ぼくはガンダムあんまり知らなくて。へへへ」

オレ氏「あぁ、そうなんですね。一口にガンダムっても、種類多いっすもんね」

そのあとも強引にガンダムの話を続け、なぜか会話を切り上げようとしない。

脱線につぐ脱線を繰り返し、長引かせる。

しかも、すげーつまんねぇ話。

正直、うざいほかない。

そして武田、この時点でその怪しさに勘付く。すでに若干イライラしていたので、結論を急かすことにした。

オレ氏「ふーん。そうなんだ。…で、君たちの目的は何? 話しかけ方が不自然にも程があるんだけど?」

ここでもう1人の、「男B」がカットインしてきた。

男B「実は彼がプラモデル友達を探してて〜。よかったら連絡先交換して、今度お茶でも飲みながら話しませ…」

オレ氏「あぁ、嫌だわ。お前ら気持ち悪いし、友達になる価値を感じないから」 ※食い気味かつ、笑顔で

男AB「……ははは」

オレ氏「こっちは買い物きてるのに、気分害するような絡み方ウザいから、やめてもらっていい?」

男A「気分を害してしま…」

最後まで言葉を聞かず、その場を去った。

だいたいこの手のやつは、怪しいというのを知っている。

20代の頃、街コンやスタンディングバーみたいなところで、こういう男たちに絡まれまくった経験で、直感でわかるようになった。

わざわざ男に話しかけてくる奴。

その実態はマルチか宗教の勧誘が大半であるからだ。

ハシゴしたソフマップで、またしても「男B」あらわる


ヤマダを退店後、ソフマップへハシゴした。

そこで事件が起ころうとも知らず(笑)

しばらく店内でガンプラを物色していると、なんと、先ほどの「男B」が違う青年を引き連れ、店内にいるではないか。

流石にさっきあれほど冷たい態度を「男B」に示したので、話しかけてこないだろう……と思っていた。

しかし、しばらくして、左隣から聞こえてきた声に耳を疑った。

青年C「…あの、ガンプラに詳しいんですか?」

なんと手駒を変えて、「男B」は「青年C」を送り込んできたのだ。

流石に痺れをきらした、オレ。

オレ氏「君さ、アイツの知り合いでしょ? さっきも同じように話かけられたんだけど、目的なんなの? 正々堂々言ってくんない? そしたら話聞いてやるから」(※食い気味・真顔・マジトーン)

どうせ勧誘なので、話を聞くというのは嘘である。

青年Cは怯えていた。しどろもどろに話を切り出す。

青年C「あぁ…正直にぶっちゃけていうと、日蓮宗の◯◯会っていう勧誘です。駅前で配っている、富士山の写真が書いてあるチラシ。あれです」

オレ氏「あぁ、やっぱそう(勧誘)なのね。でもね、ここ店だしオレお客さんだから、ガンプラ見に来てるの。だいたいこういうことすると、お店に迷惑かかるってわかるでしょ?」

青年C「……はい」

どうやら「青年C」と「男B」は上下関係にあるようだった。

青年Cは正直者だった。まだ人として救いのある人物だと感じる。

つまり、悪き元凶は「男B」ということだ。

めちゃくちゃ腹立ったので、距離を置くように同じフロアにいた、「男B」の元へ向かったオレ氏。

※そのとき、小脇にはガンプラ(MGギラドーガ)の箱をサーフボードのように抱えていた。

オレ氏「お前なぁ、さっきも話しかけてきやがって迷惑なんだよ。こっちはな、休日で買い物楽しんでんだよ。わかってんのか? 店に迷惑かかるだろ? お前らの勧誘の場所のために、高い家賃払ってテナント借りてるわけじゃねぇんだぞ」 

※最後はなぜか“ソフマップ目線”。自分でも何言っているかわからなかった(笑)

男B「はい? なんですか?」

めっちゃ腹立つトーンで返す、男B。

うわぁ、UZA。マスク越しだが、ウザい。ウザすぎる顔をしているのがわかる。

オレ氏「なんですか? じゃねぇだろ笑」

男B「はいはい、ご立派な正義感ですね」

オレ氏「あぁ!? お前らみたいなのがいると単純に迷惑なんだよ。こっちは買い物してんの。うっとおしいんだよ。とっととうせろ」

男B「はいはい。さ〜せん、さ〜せん」 ※めっちゃおちょくるトーンで

オレ氏「お前らのことは店の人に報告しておくから。やるなら他でやれ。出禁にしてやっかんな」 ←権力ないし絶対無理

んで、レジで会計を済ませ、その際に一連の出来事を店員に話し、その場を去ったのである。

※お店に責任を追求するのではなく、あくまで「お客さんに迷惑かかってますよ、アイツらのせいで」というスタンスで。

“宗教”とは、いったいなんのか?


常々疑問に思う。

たしかに信仰は自由だ。

しかし、それに人を巻き込んではいけない。まして人の時間を奪うなんて、何人たりとも許される行為ではない。

こいつらが熱心に信じている宗教では、「人として正しい行いとはなにか?」を教えていないのだろうか。

安っぽくて、ハリボテな“神様”だな。

まったくよ。いい加減にしてくれ。

「ご立派な正義感ですね」

オレが鼻息荒く怒っているときに、小脇にかかえていたガンプラ。迫力ねぇなぁ…(笑)

しかし、男Bの発言の中で、考えさせられることがあった。

それは、自らが思う“正義感”についてである。

「ご立派な正義感」。このワードが妙に引っ掛かった。

「正義の味方」「正義は必ず勝つ」

そういう言葉を刷り込まれてきた我々は、ついつい正義感溢れる行動を美徳として考える節がある。

しかし、正義感や正義を通すことは、必ずしも正しい結果を導くとは限らない

なぜかというと、人は人としてうまく生きていく上で、悪に目を瞑ったり、ときに建前や嘘を使うことを強いられる場面があるからだ。

それに正義感や正論は、人を追い詰めることだってある。

世のため人のためと思ったことが、独りよがりの自己満足だったり、誰のためにもならなかったりする。

『悪』が存在するおかけで、この世は回っているのかもしれない。

この度、彼らに対し、自分がとった行動は正しい行動だったのだろうか。

書き起こしていて疑問に思った。

ひょっとしたら逆上されて、刺されていたかもしれない。

※今回遭遇した〇〇会は、〇〇学会(超有名宗教団体)を襲撃したこともある過激派らしい。

街中で見知らぬ人を勧誘するぐらい、その宗教に傾倒しているというのは、普通の精神状態でないことは明らかだ。

だからこそ、まともな人間でないからこそ、それが意味のない行動だったのかもしれない。

みなさんには忠告しておきたい。

こういうことに限らず、結局、感情をぶつけたところで、この世から腹立つことは無くならない

争うことは、いい結果を生み出さないことがほとんどなのだ。

自分が怒ったところで、世の中(他人)は何一つ変わらない。

ぜったいに、何も変わらない。

そう考えると、自分なんてちっぽけな一般人なんだな、と。

ただただ、それを痛感するだけなのだ。

昔、親友がマルチ商法に溺れていくのを見ているのが辛くて、必死で説得したけど無理だったことがある。

自分の正義をぶつけて、親友を失った。

あのときそうしたことが、正しい行いだったのか?

結局、親友の一人も救えないのだから、人間というのは無力なもんなのである。

まーしー

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