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アホになる力

最近私が欲しいもの「アホになる力」です。
より正確にいうと「なんら生産的なことをしなくても自分を嫌いにならない、なんなら自己肯定感を高めてしまう魔法の泉」です。

仕事においては「誠実さ」が全ての根底

仕事だと誰かに価値を提供することが唯一の生存価値です。
良くも悪くも少し無理をします。
「誠実」モードです。

「誠実さ」が仕事の根底にあると考えています。
反する行為をすると信頼を失います。
信頼を失うと、周りの目がキツくなり、監視の目がキツくなり、発言に力が失くなります。

「誠実さ」モードが仕事では必須であると考えています。
最低限「誠実さ」を持って仕事に取り組めば、少なくとも仕事は回るし、誰かに価値を提供できれば自己肯定感の源泉になります。

「好きなことをしている姿」の価値

その反動か、たまには腑抜けた姿で、ずっとゲームしたいし、漫画を読んでいたい、という「堕落」の気分になります。
たまにやるのですが、、1,2時間もすれば飽きます。
飽きるというより「こんなことしてて良いのだろうか」という気分になります。
小学生の頃などは、暇さえあれば漫画を読んで、ゲームをして、なんら罪悪感もなかったのですが。。

話は少しそれますが、昔フィリピンに語学留学していた際にルームメイトがいました。
韓国人のジョンです。
ずっと部屋の中でゲームしていました。
その分、お世辞にも英語ができたとは言えないのですが、でも私は大好きでした。
一緒にいてものすごく居心地が良いのです。
僕のことを「本当によく勉強するな 笑」といつも笑ってくれていました。
本人は本人なりに悩んでいたのかもしれませんが、少なくとも自分は微塵も感じませんでした。
どういう心持ちでいれば、そのように見えるのか少し聞いてみたいですね。また「お前は真面目だな 笑」と笑われる気がします。

論理展開できていない結論

脈絡がないのですが、本質は「好きなことをしている」×「自分を無条件で肯定してくれる友人と一緒にいるか否か」にある気がしました。
気の置けない友人と一緒に好きなことをするか、それを一人でするか。
前者であれば幸せ、後者であれば虚しくなる、という分岐になると思いました。

また全然脈絡がないのですが、 Youtuberの方が自分の好きなことを楽しんでいる動画、或いは単に動物と戯れている動画、娘と戯れている動画、そういう動画が提供している価値って「安心感」なのかなと思いました。
「少なくとも今は頑張らなくてもいいんだという安心感」

自分もジョンからそれを感じていたのかもしれません。
そうなると、肩肘張らずに好きなことをしている姿勢、それだけでも価値があるし、自分もそれをすることでもしかしたら誰かを救うことになるかもしれない、と思えました。

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