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仏教に学ぶ生き方、考え方「マウントを取られるということ」

 話をしていると俗に言う「マウントを取ってくる」人がいます。

 そういう人は、自分のほうがよく知っていると思いこんでいるので、知らない言葉も「あ~それは〇〇だよね~」などと知ったような口ぶりで話します。

 でも、明らかに「解釈が違う」なと分かるときがあります。

 そんなときも、間違いを正すようなことをしないようにしています。

 なぜかというと、例え本当に間違えていたとしても、こちらがいつの間にか「悪者」になってしまうからです。

 本当に学びたいと思う人はまずは「謙虚で、控えめ」です。

 そしてもっといい学びを、「引き寄せたい」と思っているものです。

 川の流れが低いところに流れるように、こちらが低くなるといろいろなものが流れ込んでくることを「知っている」のです。

 逆にマウントを取ってくるような人は、人と比較して「優越感を感じる幸せ」しか知りませんから、絶えず誰かにマウントを仕掛けています。

 親鸞聖人も「そういう人」をさり気なく避けていたのではないでしょうか?

 そして、「私なんかより知識の豊富な高僧」と口では言いつつ、そういう人たちを相手にせず「一心に」信心を磨いておられたのです。


☆今日の一句☆

 マウントを
    取られて心は
       真探し(しんさがし)

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