ほとけさまのおしえ「傘ふれ合うも、、、」
今日は朝から「雨」が降っております。
こんな日には長袖を着て、「傘をさして」通勤通学された方も多いのではないでしょうか?
都会の人混みを傘を差しながら歩くと、歩道の狭いところではどうしても「傘の先が触れ合う」こともしばしばです。
そういうときには「これも何かの御縁なのだ」と思うようにしております。
昔から「袖触れ合うも多生の縁」と申します。
これを袖が触れ合うのも「少しの縁」があるんですと解釈する方が多いのですが、実はよく見ると「多少」ではなく「多生」という漢字が使われております。
つまり私たちは流転輪廻の中で今まで生まれ変わり死に変わり、たくさんの生を経験してきており、その中でたくさんの縁をいただいてきたのです。
今生では袖触れ合うほどの縁であっても、かつては「親であり子どもであり夫婦であり」、そういう深い御縁を頂いていたかもしれないですよ〜という意味になります。
そう思うと傘がぶつかった今朝の人にも、なにか「親しみ」を感じてしまいますよね?
そしていつもは気づかない「深い智慧」が仏教にはあるのだなと、雨空を眺めながら思いに耽っております。
☆今日の一句☆
傘当たり
多生の縁を
感じ入る
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