仏教に学ぶ生き方、考え方「見えないことを大切に考えるということ」
昔、こんな話を聞いたことがあります。
ある「泥棒」が、一人住まいのおばあさんの家に盗みに入りました。
じっと家の中に「潜んで」おばあさんが食事の準備をする様子を伺っていたそうです。
そうするうちに泥棒は自分のしていることに耐えられなくなり、思わず出てきておばあさんに「懺悔」をしたそうです。
なぜ急に謝ろうという心持ちになったのでしょう?
実はおばあさんの「とある行い」を見たからです。
それはお味噌汁の味見をする時に、オタマから小皿にちゃんと「掬って」味見をしたからです。
人が見ていないところでも、ちゃんと小皿に「移し替えて」から口をつけている。
それに比べて、自分は「人に見られなかったら何をしてもいいのだ」という心持ちを思い知らされたのだそうです。
この話を聞いて私は泥棒の心の中の「仏心」(ぶっしん)に感服したのを覚えています。
そもそも他人の心など「気にもとめない」からから泥棒ができるわけですが、この泥棒は人の行いから「自分を反省し、行いを変える」心があったわけです。
仏の心を知るということは、つまりは自分で「気づき」、自分で「行いを変えていく」ということでもあるなかなと思っております。
☆今日の一句☆
人を観て
我がフリ直す
菩提心
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