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仏教に学ぶ生き方、考え方「御供」

 初盆のお家があると、近所の人や親戚が「御供」(おそなえ)を持ってきていただけるときがあります。

 仏壇の周りに「御供物」が多く上がっていると、みんなに好かれたり慕われたりしていたのかなと感じます。

 この御供ですが、よく見ると「掛け紙」(表書き)を逆にして置いてみえる方がおられます。

 つまり、仏様から見やすいようにと、こちらに向けてではなく「逆」にして置いてあるのです。

 その心持ちは十分に理解できますので何も申すことはいたしません。

 でも本来は掛け紙の字を「こちらに向けて」置くのです。

 ではいったい御供物はどうしてお仏壇に飾るのでしょう。

 もし御供物を亡くなった方への「供養のために」置かれるのであれば、逆もありなのかなと思います。

 つまりこの御供は、私が亡くなった方に渡したい気持ちを伝えていると考えれば逆向きに置くのは正しいでしょう。

 でも亡くなった方は、生きている方からお供えを貰わなければならないほど困っているのでしょうか?

 真宗の場合は極楽浄土に皆が生まれており、そこには食べ物や飲み物は何でもいつでも揃っているとされております。

 なのでお腹を空かせたり、喉が乾いたりすることはないのです。

 なのでこちらに向けて「私たちは充分頂いておりますから、あなたたちで分けて食べてくださいね~」と慈悲の心で供物をいただいているのです。

 よく亡くなった方が「食べやすいように」とか「飲みやすいように」と袋を開けたり缶を開けたりしますが、それも本来は必要ありません。

 上がった供物は法要の後、皆さんでお下がりとして分けて食べればいいのです。

 その時に〇〇さんからいただいたと思わずに、仏様からいただいたと思うことが大切です。

 私も御同行様からいただいた供物は必ず三方に乗せて、まず阿弥陀如来様にお供えいたします。

 そして法要が終わったあと、引き下げる時には、それは仏様が施してくださったものになります。

 そう思うとお返しなど気にせずに素直に感謝をいたす心持ちになれます。

 御供一つにも、このような心持ちでいただくということに意識を向けていく。

 その心持ちこそ仏教で一番大切にされるべきものなのです。


☆今日の一句☆

 御供は
   見えない心を
        映すもの

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