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創作伝奇小説「猫が謳う玉響の唄」お試し版



あらすじ
辻里弓弦は人嫌いの少年だった。彼が興味を持つのは動物、それも猫だけだった。ある日、一匹の子猫に出会って彼の運命は大きく変わっていく。

お試し版は3章まで読んで戴けます! 登場人物紹介+挿絵付きとなっておりますのでより本に近い形で閲覧できますのでどうぞご覧下さいませ😊

此方の本の装丁は
A5/フルカラー表紙/74P
表紙:シェルルックN_ツインスノー_180K/マットPP/箔押しあり
遊び紙:アートレスクラフトゴールド_ヒザシ_86K
本文:淡クリームキンマリ_90K
本文フォント:游明朝
相方石神たまき(user/1148061)によるフルカラー口絵+挿絵三枚あり。
となっております。
当本のノベルティはポストカードです。

ではお試しをどうぞです😊


猫が謳う玉響の唄 登場人物紹介


登場人物紹介1
登場人物紹介2
登場人物紹介 3


 いつものように幼馴染みと彼は遊んでいた。それは当たり前の風景で、一度も疑問に思ったこともない。
 彼は友だちと楽しく、楽しく[[rb:燥 > はしゃ]]いでいた。いつでも時間を忘れるほどに。当に子供だったから実に無邪気そのものだった。
 そう――あの日が来るまでは。
 ちりん。
 ふと耳元で鈴が鳴る。
 ちりん。
 もう一度鳴った。
 音の方に振り向けば、そこには彼と同じ年頃と思われる少女が立っていた。とても豪奢な着物を着ており、明らかにこの場所には似つかわしくない。けれど少年にはとても綺麗に映った。
 彼女の手にはたくさんの鈴が連なっている棒のようなものを持っている。鈴の音はきっとそこから鳴ったのだろう。
 暫く眺めていると彼女は優しく微笑み、おいでおいでをして彼を待っている。
 自分が少女に呼ばれていることを理解し、続いて彼女の元に行くべきだと思った。
 だから彼は今いるところがどんな場所かなんて考えないで走り出し、そうして次の瞬間、強い衝撃を感じて彼の体は宙に舞う。
 くるくるくる。
 景色が不思議に変わっていく。目に見える世界が天地左右が可笑しなことになっているのは分かったが、覚えているのはそこまで。
 そのまま彼の意識は飛んで行き、最後に暗転した。

      ‡     ‡      ‡

 次に気が付けば知らない天井が見えた。どうやら病院らしいと認識する。
 なぜなら白衣を着た医師や看護師が慌ただしくしている様子が窺えたからだ。
 矢継ぎ早に少年に何かを話しかけてくるが、彼はどうにも反応を返せないでいた。それで心配になったのだろう、急ぎ誰かを呼びに行き、連れて来る。
 来たのは女性と少女。酷く慌てた様子なのは見て取れた。
「ねえ、私たちが分かる? お前ったら突然、車の前に飛び出したって!」
 女性が何かを言っていた。言葉なのは理解する。けれどその話している意味が[[rb:理 > わ]][[rb:解 > か]]らない。
「……誰だっけ」
 どうにも周囲の人間たちに何かを感じることが出来なくていつの間にかそう呟いていた。
 ああ、あの子の傍に行けなかったんだね。
 それだけは分かり、それが為せなかったことに何処か落胆を覚えた。
「何を言ってるの? 心配したのよ! 頭を打ったからかしら?!」
 恐らく少年を心配しているらしい女性がおろおろしている。彼より少し年齢の低い少女もやはり戸惑った表情をしていた。
「お兄ちゃん? 大丈夫?」
 おにいちゃん?
 ああ、そうだ、そうだった。これは僕の家族。かぞく。かぞく。
 うん、おかあさんといもうとだ。
 でも何故か泣いている。
 何でだろう?
 一生懸命考えてみるもどうしても分からない、理解できない。
 きっと本当は僕も泣かないといけないんだ。
 うんうん、助かって良かったねと。
 そう言えばこの状態は変わるはずだ。
 それなのに彼の口からは終ぞその言葉が出ることはなかった。

 その日から少年の世界は一変した――まるで全てが反転したように。


 いつからか彼にいる場所はなかった。いや、その表現はきっと正確ではない。
 ああ、もしかしたら最初からそんなものは無かったのかもしれない。
 そうだ、そう、きっとそうなんだろう。
 でなくてはこの言いようのない虚無感の理由が付かない。
 しかし当然だが、彼は一人ではない。家族、はちゃんとある。
 所謂、一般的な家族で、彼が生まれたときからそれはずっと変わらないままだ。
 恐らく余所様から見ても本当に普通の家庭に映るだろう。一見すれば少年に足りないものなど一切ないのだから。
 だけれど彼からすれば一緒にいる人たちを家族、と呼ぶのは何処か違和感があった。
 家族たちと確かに血は繋がっていること自体は間違いないし、理解もしている。
 よく世間は血の縁は特別なものだとは言うが、実際にはそれが何だというのだろう。彼は家族との絆に特別だと感じたことがないのだ。
 だが、そのことに寂しさを覚えたことは不思議と無く、同時にただ何かを求めていることは理解していた。
 それが何かが分からない。
 ただ漠然と自分が彷徨っているとは感じていた。
 何処を? もしくはいつ?
 それすら把握できないまま、ただ此処にいることしか出来ない。
 どうにも歯痒いのにどうすればよいのか、出口のない問いにずっと悩み続けていた。
 毎回、考えても徒労に終わるだけだが、それでも止めることは出来ないまま、今に至っている。
 少なくとも彼――辻里弓弦にとって世界は幼い頃から酷く孤独で疎外感のあるものでしかなかった。
 故に幼い頃から弓弦は一人でいることが多く、それこそ友達と呼べるものも皆無に等しい。所属するクラスの中で彼を覚えている者がいるかどうかも分からないが。
 そのくらい人とは関わらないし、そうなれば向こうも当然そうなる。
 つまるところ、誰かと関わりを持つと言うことに興味がない、それが結論だった。
 今日も今日とて何もすることがないため、自分の部屋にただ何となくいる。此処に特にいたいわけでもないのだが、他にいる場所もない。ただそれだけだった。
「弓弦? いるの?」
 ふと彼を呼んでいることに気が付く。母が階下から呼んでいるのだろう、少し、いや大分声が遠かった。
 いつもこうだ。彼女は息子のためにわざわざ昇ってなどは来ない。恐らく呼び掛ける相手に聞こえていなくてもいいのだ。
「……いますよ、お母さん」
 そう端的にそれだけの返事をし、それ以上は何も答えない。これが馬鹿馬鹿しい儀式のような日常の会話のひとつではあった。
「……御飯よ」
 ある意味残念そうな、どうでもいいような口ぶりもいつものことだ。恐らくそれはお互い様なのだから。
 階下に降りれば、既に家族は揃っていた。いや、揃ったと言っても仕事中の父はまだのようだ。
 そして四人席の食卓には弓弦の食事の席は確かにいつものようにあった。
 並んでいる食器やおかずに家族との差異があるわけではないし、端から見ればごく普通の食卓ではある。
 だが、少年の居場所はなかった。
 母と妹は弓弦に話しかけることもなく、弓弦もまた話しかけることはしない。
 常に母と妹が話す会話の中に彼はおらず、また弓弦の中にも彼女らがいないからだ。
 気が付けばそれが当たり前の世界。そうなることに不思議と違和感を持ったこともない。
 もしも此処に父がいようとも同じこと。
 互いが互いに触れたくはない、触れたくもない。
 それが彼らと自分の答えだった。
 この違和感にはっきりと理解したのは恐らく弓弦が幼い頃に事故に遭った時からだ。
 原因は彼が急に道路へと飛び出したためとされており、そこは確かに事実だった。実際、そのせいで結構な期間入院もしていたので、幼かった弓弦でもはっきり覚えている。
 その際、元々夢みがちと言われていた少年だったからかなりきつく注意された。彼が時折話していた不思議な話をすることも強く禁じられたのもこの頃である。当時、弓弦としては言い付けはとても不満であり、従わず思うままに彼は行動した。
 何故かは知らないが、同時に家族がとても鬱陶しいと感じるようになり、彼らに構われることを拒否するようになったのだ。
 家族も家族で弓弦のことを全く理解できないものだから、結果、家族との埋めようのない距離が出来たのである。
 そんな状態で円滑な意思疎通が出来るわけもなく、今日の状態が続いていた。
 よって今彼は家の中で独りぼっちだと言えるが、自分からはじめたことであるし、それを今更修復しようとも思わない。
 弓弦は静かに食事のみを終え、いつものように一言も誰かと言葉を交わすこともないまま、再び自分の部屋へと向かう。
 そうして部屋へ戻ると、いつも大きなため息を一つ吐く。ほっとするのだ。誰もいないこの空間が何よりも心地いい。
 ふと小さい頃から聞こえてくる音と声がする。

 ちりん、ちりん。

 とおいあなたはいまいずこ。
 まちてまちまち、きょうもまつ。
 いずこにありや、いずこにありや。
 ああ、あいたい、あいたい。
 
 ちりん、ちりん。

 鈴の音に合わせるかのように可愛らしい声で歌うその声は何処か懐かしくてひどく安心する。
 ずっと誰かを探しているのか、待っているのか、歌詞からしたらそんな感じの歌だと弓弦は思う。
 誰を待っているのだろう。誰に逢いたいのだろう。
 分かるのはいつも同じ声の主であるということだけ。
 尤もこの歌を知っているのは弓弦のみ。そもそも彼しか聞いたことがないものだ。
 誰にも聞こえない歌、詩、唄。
 不思議ではあるが見も知らぬ相手の声は勿論、弓弦にしか聞こえない。何度か母や父、それに妹にも尋ねたがひどく不気味がられるだけで終わった。
 あの愛らしい歌声を聞く度に弓弦は幸せな気持ちになるのに誰もそれを分かるものはいなかった。
 もう期待はすまい、そう思い、会話はますますなくなったが、苦でもない。
 それよりももっと真摯な願いが生まれたから。

 逢ってみたい。

 それがいつの間にか弓弦にとって唯一の希望となっていた。



「辻里君」
「何?」
 不意にクラスメイトの一人が話しかけてきたので弓弦としては普通に対応する。が、相手にはそう聞こえないらしく何処か戸惑いつつ、完全に身構えていた。
「あ、あの進路調査の紙、出してないでしょ? 先生が早く出してって」
「ああ、そう、分かった」
 確かにそんなものがあったことを思い出す。ついでに三者面談だのがあることも、だ。
「有り難う」
 一応礼を言っておき、立ち上がる。その時になって既に放課後になっていることに今更気が付いた。
 ああ、だからか。
 話かけられた理由も納得する。けれどどうでもいい。
 そのくらい弓弦にとっては学校というものは価値が見出せないものだった。
「え、あの」
 会話を一方的に打ち切られ、クラスメイトは戸惑っているようだが、彼にしてみればもう必要なことは終わったのだ。それ以上言葉を交わす必要性がなかった。
 そもそも学校で特に親しいものはいない。正確には弓弦と親しくしているつもりのヤツは一人いるが、このクラスにはいないと言うべきか。
「なあ、辻里よぉ、偶には俺らと付き合わない?」
「何故?」
 帰ろうと教室の扉に手をかけていると別のクラスメイトが呼び掛けてきた。あまり興味はないが、少し不良ぶっているタイプの男子生徒だと記憶している。
「何故って、そりゃあ俺たちクラスメイトなんだからさ、親睦を深めるって大事だろう?」
「そう、でも僕は興味がないから」
 素気なくそう言い、そのまま教室を後にしようとするが、クラスメイトがその進路を塞いできた。
「何?」
「お澄まし顔も大概にしてさ、俺らと遊ぼうぜ?」
 ニヤニヤと笑っている。どうやら当人としては面白いつもりらしい。
「悪いけど、本当に興味がないよ」
 淡々と弓弦は言い、スッと彼の横を抜けていく。
「お、おい!」
 そう叫んで、急いで弓弦の肩を掴もうとした。しかしその手は届かない。何故ならそれを防ぐようにして弓弦と彼の間にまるで鎌鼬のような風が吹き、シュッと彼の手を掠めていったのだ。
 それはまるで猫にでも引っかかれたような傷で、さして深くもないものだったが、偶然にしては都合が良すぎる。
「な、なんだ?」
「何してるんだよ、うわっ、お前、怪我してるじゃん」
「やべえやべえ、保健室、保健室!」
 思わぬ事態にクラスメイトたちは誰も彼もが浮き足立って大騒ぎしているが、それに対しても弓弦は興味持つことなく直ぐさまその場を後にしていた。
 騒然とした中、当の男子生徒は呆然としながら思わず自分の手を見る。今のところたいして痛くはないのだが、いきなり出来た傷は何処か不気味さがあり、何となくぞっとしていた。
「な、なあ、あいつ、何なんだ……」
「俺、中学一緒だったけど、あいつ、いつもそうでさ、本気で誰とも馴染まないんだよ。下手に構うと今のお前みたいに必ず何か起きてさ。だから誰も構わない。んで、付いたあだ名がぼっちの辻里ってんだよ」
「へ、へえ」
「だからさ、その傷ちゃんと手当てした方がいいよ。噂だと甘く見て凄く酷くなったヤツもいるってさ」
 そう言われて怪我をした男子生徒は大慌てで保健室に走ることにし、そして二度と弓弦には近寄らないと決めるのだった。


「何、迷子?」
 放課後の帰り道、足下に擦り寄ってくる猫に向かっては弓弦はそう語りかけて抱き上げてやる。
 よく見ればあまりこの辺では見たことのないまだ若い猫だった。子猫と成猫の間だけにある初々しさがあり、とても愛らしい顔立ちをしている。
 毛の色は白地に黒のブチの模様が入っているのだが、特徴的なのは瞳で、その色は銀のように光っていた。
「変わった色だねえ」
 弓弦は通学路にいる猫は大概覚えているのだが、この猫と同じような模様と目の色をした子は見た記憶がなかった。
 彼は人間は正直大嫌いだが、動物全般、こと猫は大好きだった。相手が猫であればどんな猫でも一度で覚えてしまうし、その違いも分かる。
 これは小さい頃から変わらない。人に何かされるのは嫌いだが、猫ならされてもいいし、猫のためなら何をするのもいい気分だった。
 尤も彼の家族は誰もが動物嫌いなのでそれを分かち合えることもない。
「おやおや、まだチビなのにご苦労さんだね。この辺の子じゃないだろう?」
 弓弦がそっと抱き上げてやると、猫は弓弦の顔を大きな瞳で覗き込んでくる姿は愛らしい。
「ねえ、お前、自分の家は分かるかい?」
 弓弦の問いに反応してなのか、猫は答えるように喉を鳴らした。
「そうか、分かるんだね」
 弓弦が暢気に猫と会話を交わしていると、背後から吐き捨てるような声がした。
「んなの、猫に言って分かるかよ、ボケ」
 そちらへと顔を向ければ、そこには彼の幼馴染みである本庄稔がいつの間にやら嫌悪感を露わにして立っていた。
 相手を確認すると弓弦は我知らずため息を一つ吐いた。
 またか。
 それが彼の最初に浮かんだ言葉だった。ことが何であうとも先ず弓弦の言動を否定することから入る、それが稔だ。
「稔、お前はとっても合理的思考の持ち主なんだろうけどね、実際、猫は人の言葉が分かるんだよ」
 それは弓弦の経験から感じていることだ。別に何処かのえらい人がそう言ったわけではないので、当然相手を納得させる根拠なんぞない。
 当然そんなことは稔の方も分かっているから更に相手を馬鹿にした態度を取った。
「へーへー、御高説承りますってか」
「いかにも信じてないって態度でどうもね。僕もお前に期待なんてしちゃいないけど」
 稔のように信じないからあり得ないと何でも否定してしまえば簡単だ。
 けれどそれではつまらないと弓弦は思う。何よりも猫と話せないと思うより話せると思った方がよっぽどいい。
 それに同じ言葉ではなくてもこうして相手が語りかけてくるんだからやっぱり話せるんだよ。
 そう何度、猫たちに語りかけただろうか。そして何度、彼らから返事を貰ったことだろうか。
 それは稔の言った意味では通じたことにならないのかも知れないが、弓弦にはいつでも十分なものだった。
 こうして猫と話している方が人と話すことよりもよっぽど自然に感じてもいるのもある。
 だけど稔はそれが気に入らないんだ。違うか、僕が何をしても気に入らないと言うべきだね。
 弓弦がちらりと稔を見遣ると、案の定、苦虫を噛み潰したような表情で見ていた。
 実際、稔にとっては幼馴染みの返事などどうでもいいことであり、彼は彼の任務を果たすことに徹しているようだ。つまりはそれが稔にとって正しいことらしい。
「んな野良猫なんてほっておけよ。こんなところでまた遊んでねえで、早く帰らないとお袋さんがまた心配するぞ」
「……そうだね、普通ならそうかも知れない。そんなものがあの人にあればね。うん、でもやっぱり僕はこいつの家探してやるからさ、お前は親の言い付け通りにさっさと帰るといいよ」
 最早答える義理もないのだが、相手への反発もあって弓弦は彼を嘲るように言い捨てる。
「げ? マジですか、またですか、弓弦」
 幼馴染みの口調に腹が立ったのだろう、先ほどよりも更に露骨に嫌味と嫌悪を籠めて稔が言えば、弓弦もそれに見合う答え方でまた返した。
「そう、まただね。だけど可愛そうだろ? こんな場所でいつまでも独りぼっちじゃさ」
 如何に季節が夏だとは言っても見知らぬ場所で迷子になってしまった猫をこの場に残していくには不安が残る。
 少なくとも弓弦にはこの場にこの猫を何事もなかったように放置することは出来なかった。
「相も変わらずお優しいこって、ゆづ坊は」
「何とでも言えよ、みの坊」
 その呼び名は大分小さい頃、大人たちにそう呼ばれていた懐かしいものだが、今となっては二人ともそう呼ばれるのは当然好きではない。だからこんなときに言うのは大なり小なりお互いのやることに対する不満表明であった。
 そのまま二人は暫く睨み合いとなる。
 その間、弓弦はひたすら静かに相手と一定の距離を取り続け、逆に稔は挑むように相手との距離を縮めようとするが、どう考えてもこの平行線からは抜け出せそうにはなかった。
 やがてそんな攻防に稔の方が耐えられなくなったらしく弓弦から視線を逸らして、二人の会話を終了させるべく口を開く。
「じゃ、俺は帰るよ。んな猫なんて勝手に何処へでも行くから構わねえだろうにさ」
 嫌になるほど相手がお互いにどう思うか分かっているのに更に言葉の掛け合いは辛辣にしかならなかった。
「僕が勝手に好きでやるんだからいいだろ、別にお前に頼んじゃあいない」
 売り言葉に買い言葉となり、再び暫く睨み合う形になった。
 どうしてだかこの頃、この自分の幼馴染みと口喧嘩することが増えたように思う。とは言っても喧嘩を仕掛けるのは弓弦ではなく、いつも稔の方であった。
 毎度毎度、弓弦が何かすれば稔がそれは違うと必ず異を唱えてくる、そんなパターンが繰り返されていると言う方が正しいかも知れない。
 弓弦としては毎度毎度、稔とのじゃれ合いなど特に望んではいないが、向こうからやって来る以上避けようもない。
「そうかよ。まあ、お前はいつだって綺麗事が大好きだからな。さぞかし御満悦だろう?」
 稔の態度もさながら吐き捨てる言葉も辛辣であったが、受ける方も慣れたものでにこやかに返すだけだ。
「そうだね、少なくとも僕はいい気分だ。よくさ、しない偽善よりする偽善って言うじゃないか? 僕はそれでいいよ」
 これは別に稔をやり込めるために言ってるわけではなく、実際に自分でもそう思っているから口にしているだけのこと。
 こんな些細なことでいちいち何かに気を取られて大事なことを見過ごすのは沢山だった。
 要は不毛な相手との会話をさっさと終わらせたいが本音ではあるが。
 一方の稔としては会心と思われた攻撃が実は相手に何も与えられなかったことに衝撃と諦めが入り交じった表情となり、それ以上は何も言えなくなっていた。
 そんな幼馴染みを横目にしつつ、弓弦はざっと辺りの様子を窺ってみる。親猫どころか他の猫の姿すら見えなかった。
 やはりこの近くには親猫はいないらしい。
 大概ならこのくらいの猫の側にはまだ親猫がいるはずなのに。ああ、きっと子猫は好奇心に負けて遠くまで遊びに来てしまったに違いない。
「お前のお母さん、直ぐ見つかるといいんだけどな」
 猫は愛らしく弓弦を見つめ返し、ごろごろと喉を鳴らして甘えてくる。やはり寂しかったのだろう。
 こんなところで一人なんて寂しいよな。
 切ない猫の気持ちが分かるような気がして、どうあっても家を、野良ならせめて母親を捜してやろうと決めていた。
 弓弦が家とは真逆の方向へ向かい出すと背後から稔の諦めと苛立ちが入り交じった声が届く。
「底抜けのお人好しが、また問題起こすなよ。お前またクラスでやらかしたらしいじゃないか」
 稔の言うのは恐らくさっきの教室での出来事だろう。弓弦にしてみればそんなことは今更珍しくもないのにと思うが。


「そうだね、稔、有り難く忠告だけ聞いておくよ」
 相手の気持ちなどお構いなしに弓弦は稔に素気なく答え、猫を抱いたまま歩き出す。彼の興味は既に幼馴染みの少年にはなく、腕の中の猫に集中していた。
 稔の方は返事が欲しかったのだろう、彼にまだ何か言いたそうにしていたが、忌々しそうに足を踏みならすと弓弦とは違う方向へと凄まじい勢いで歩き出していった。

→続(見本は此処までです)

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