言葉ひとつ、人間ひとり
言葉が鋭角になる。
みんな。
ひとつの言葉、ただそれだけ。
いま、君が言う「みんな」には誰が含まれているのだろうか。
たぶんたけど、おそらくだけど、もしかしたらだけど、君が半年前に言ってた「みんな」と、今の「みんな」は違うんじゃ無いかと思う。
それが良いか悪いか。
そんな話をしたいわけではなく。
言葉選びのひとつひとつを大事にしたい。
もちろん「みんな」は、誰といるかどこにいるかで、必ずその範囲は変わる。
だけど、それまで彼の言う「みんな」に含まれていたのに、ある地点からその「みんな」に自分はいないと、そう気付いた時、どんな気持ちになるだろうか。
「みんな」に含まれていないと知ったとき、人の心は簡単に壊れる。
うすのろに広がった富士に気付いた時、彼の言葉はより鈍角に、ひいては丸く、攻撃性を持たない姿に変わるだろう。
いつまで経っても、空を突き刺すほど鋭角な、絵に描いたような富士しか認知できないとするならば、彼の言葉には心は乗らず、隠しきれない攻撃性を孕み続ける。
発する言葉の角度は、君の視野の角度に比例する。
感性を研ぎ澄まし、今の角度を感じていきたい。
伝わる可能性を考えるなら、言葉-とは言っても今は写真、例えばSNSも言葉ほどに物を言う-の角度には敏感になるべきだ。
君には何が見える?
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