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藤井隆さん

6月28日の午前から29日の午前まで、拙連載の藤井隆さんインタビュー記事がYahoo!トピックスに掲出されていました。

幸い、多くの方に読んでいただけたようですが、理由は藤井さんの言葉の深さにあったと思っています。

取材を通じて僕が感じている藤井さんのイメージは“気遣いの人”。

自分が話したことで周りに迷惑をかけてはいけない。変な誤解を生んではいけない。何かの邪魔をしてはいけない。

そんな思いを常にお持ちで、インタビューをしていても一つ一つの言葉を本当に慎重に発する。そんな場面に幾度となく出くわしました。

今回のインタビューの軸は、春からABCテレビ「新婚さんいらっしゃい!」の司会を桂文枝さんから引き継がれたことでした。

日本を代表する長寿番組であり、大看板でもある。当然プレッシャーも大きいと想像はしますが、ご本人の中でもいろいろな思いがおありだったようで、そこに関してはこれまでほとんど発信せずでした。

ただ、今回、そこを正面から尋ねた。そこで返ってきたのは実はこの春にお父さんが亡くなっていたという、世の中には一切出ていないお話でした。

“藤井隆の父、逝去”。極めてニュートラルに考えると、これ自体が一つのニュースです。下手をすると、それこそ、藤井さんが避けてきたであろう「周りに迷惑をかける」ことになりかねないくらい力のある情報です。

身もふたもない言い方をすれば、番組の宣伝のために受けているインタビューです。そこで父の逝去を明かす。

どうしてもそこに注目が集まるし、番組ではなく自分のことが目立ってしまうかもしれない。それは藤井さんが避けてこられたことなのでは。

そんなことを想像しつつも、お話をうかがっていると、結果的には濃くて、深い愛の渦にこちらの浅はかな考えが飲み込まれる形になりました。

お話の中には、もちろんのことお父さんへの愛も多分に含まれています。

そして、そのお父さんが「隆は『新婚さんいらっしゃい!』の司会をするのか。すごいことをやるんやなぁ」と言ってくれた。最後の最後で親孝行ができた。それは「新婚さんいらっしゃい!」が規格外に大きな番組だからこそ。そんな番組をさせてもらって要ることへの感謝、そして番組愛。

どこまでも愛に満たされ、満たされていない領域がない。そんなインタビューだったからこそ、多くの人の目に留まったのだろうと考えています。

そんなお話がさらに多くの人に伝われば。その思いも込めて、改めてここで文章を綴っていますが、今回の原稿には実は極めて個人的な話ながら、もう一つ大きな意味がありました。

こんなことは文章を読んでくださっている方には全く関係のないことですが、今僕は本を書いています。中西正男が選ぶ男前芸人30人。そんな内容です。

普段の連載に加えて本を書くという作業が乗っかってくる。ただ、年間200本もインタビュー連載を書き続けているし、書くことが本業だし、文章を書くことが本業なのだから、ま、時間をやりくりすればできるだろう。

そう思って引き受けたお話だったのですが、これが恐ろしいほど書けません。イップスという言葉がピッタリくるくらい、普段の原稿は書けるのに、本の原稿を書こうとしてパソコンを開くと、体と脳が固まる。

そんな中、今回の藤井さんの原稿を書く時に、いただいたお話があまりにも濃くて、強くて、有り難い内容でもあったので、通常の連載なのに妙な重圧があって筆が進まなかった。

ただ、何とかして書かないといけない。その状況を打破すべく、久しぶりに音声入力ツールを使って原稿を書いてみました。

以前、ラジオなどでも少し話したことがあったのですが、録音した取材音源を聞きながら、それと同じことを僕が声に出していくと、それがパソコン上で文字化されていく。

そんな音声入力ツールがあるにはあったのですが、もう一つ性能が良くなかったのであまり使ってませんでした。

ただ、今回の藤井さんの原稿はなかなかに“難産”でもあったので久々に使ってみると、バージョンアップされていたのか、スラスラ文字化できる。

そこでひらめきました。本の原稿もパソコンに向かってキーボードを打つのではなく、ラジオでその人についてしゃべる気でパソコンに向かって話す。そして、雑でもいいからとにかくその芸人さんへの思い、エピソードを文字化する。

そこから削ったり、磨いたりする作業は後でするにして、とにかく原材料を文字化する。それにはこの“一人口述筆記”がぴったりだと。藤井さんの原稿から、思わぬ金脈を掘り当てました。

そんな喜びの発露の一つとして、久々にnoteも書いてみました。ちなみに、これも音声入力ツールを使ってしゃべりからの文字化で綴りました。

職人のちょっとしたコツ。そんなことを長々と綴るものではないですし、お客さんには関係のないことです。

ただ、たまりにたまった宿便が一気に出たような爽快感。そして、やっと見えた光明。そんな喜びからここに多角的備忘録として綴っています。

宿便放出の解放感を近所のインド料理屋さんのカレーをむさぼることで享受しました。

宿便の比喩とカレーの相性の悪さも、むしろ喜びのスパイスに混ぜ込む47歳。

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