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田村正和さん

田村正和さんが亡くなりました。

正確に綴ると、4月3日に亡くなっていた。死因は心不全。葬儀・告別式は既に親族で営まれた。

あらゆるメディアで報じられる、訃報の骨子の部分に田村さんの生き様が集約されていると強く感じました。

全てを終え、時間が経ってから発表し、死の生々しさを遠ざける。詳細な死因は明らかにせず、実像に厚いベールをかける。

あらゆるメディアで出ている話ですが、田村さんは本当にプライベートを見せない人だと僕も先輩記者などから聞いていました。

食事も人とはしない。食べるということは、この上なく、ワタクシを見せる行為でもあるので、そこを極力避ける。

さらに、旅行に行く際にも、飛行機の隣席チケットも必ず購入されていたと聞きます。

横に誰かが座り、機内で食事をしたり、眠っている姿を見られたくない。そんな配慮から、常に倍額を支払っていたということです。

石原裕次郎さんや高倉健さんら、いわゆる昭和の大スターが存在するのは銀幕の中のみ。その私生活はなかなか見えない。人柄もうかがい知れない。

昭和スターと視聴者・読者の間には、大きな“川”が流れていました。

川の向こう岸に姿は見える。ただ、あちら側に渡ることはできない。それがかつての大スターの存在でした。

だからこそ、対岸と視聴者・読者の人を結ぶ役割、川を行き来して向こう側の景色を伝える存在が求められもしました。

それが芸能記者であり、芸能リポーターという職業なのだと僕は理解しています。

ただ、時代とともに、川幅は狭くなり、場所によってはヒョイと一跨ぎで渡れるところもある。

もしくは、ドローンで自分が見たいエリアを空から空撮するようなこともできるようになりましたし、逆に、対岸からドローンに“日常”をてんこ盛り乗せて、こちら側の世界に撒きに来るような流れもできました。

このドローンがSNSであり、そのことで川の意味はほぼなくなり、スターの世界とこちら側が実質的に地続きにもなりました。

僕の師匠・井上公造さんが「芸能リポーターは芸能人の寄生虫」という言葉をしばしば言います。

これは自らの存在を必要以上に卑下しているわけではなく、共存共栄の部分もあり、寄生虫が宿主を生かしている部分もあり、何より、宿主がいないと寄生虫は死んでしまう。そういう事実を過不足なく表す言葉だと僕は解釈しています。

それでいうと、対岸の様子をわざわざ伝える必要があるようなスターが亡くなる度に、寄生虫の居場所も減っていく。その事実を感じもします。

だからこそ、僕は芸能記者として、新たな対岸との関係性を築くべく、まさに日々研鑽を続けているところでもあります。

より多くのものを運搬できるドローンなのか、より多くの作業ができるドローンなのか、ドローンの交通整理をする誘導員なのか。

いくつかのカタチがあろうかと思いますが、田村正和という大きな存在がなくなるように、時代は刻一刻と変わっていきます。

そこで、自分はどうやって生きていくのか。どこに自分の需要があるのか。何が自分の能力と合致しているのか。

仕事をする以上、どんな分野でもそれを考えるのは当たり前のことですし、僕も日々それと向き合いながら生きてはきましたが、今一度、そこを強く見つめ直すニュースでもありました。

仕事の本筋に関わることを書いて疲弊したので容赦なく豪華ランチをかき込んで気分を上げにかかるが「愛情の“愛”と書いて『めぐみ』。愛にめぐまれるように」ならぬ「食事の“食”と書いて『ちから』。生きることは食べることだから」と鏡竜太郎風に独り言をつぶやいた瞬間、大ぶりなゲソが口から零れ落ち、一気に力を失う46歳。

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