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福山雅治さん

福山雅治さんが7月10日に放送されたラジオで芸能人のプライベートを取材することについて、約7分半、苦言を呈しました。

このことは新聞でも記事になり、テレビの情報番組でも大きく扱われました。実際、僕も「Mr.サンデー」「バイキングMORE」と二つの番組に出演して、自身の見解を述べました。

その後もネットなどでこの話について議論というか、余波みたいなものも出ているようで、今一度、僕なりに文字に残しておくべきと思うことをいうことをここに記しておこうと思います。

●芸能記者といっても、十人十色。同じお医者さんでも脳外科医と、皮膚科の先生と歯医者さんが仕事内容が違うくらい、何もかも違う。どれが良い悪いではなく、それくらい、芸能記者というくくりの中にも大きな幅がある。

●取材といのは、野球のルールブックのように統一されたルールに則って行われるものではなく、個人や組織ごとの判断で行われる。なので、様々な線引きがある。

●そして、芸能取材は時代の流れにものすごく左右される。何十年も前は、芸能リポーター的な人たちが芸能人の家まで押しかけて突撃取材をする映像が普通にお茶の間に流れ、それを違和感なく見ていた人も多かったが、今、そんなことをやったら、大変なことになる。

ただ、そんな中、写真週刊誌などが芸能人を写したりするやり方は、ずっとほとんど変わっていない。

街頭インタビューやロケ番組で一般人もフルネームを出すことを控えているくらい、プライバシーに関する世の中の意識が変わっているのに、そこはアップデートされていない。

そこに乖離が広がれば広がるほど、芸能人の側に立てば「オレらだけ、どうなっているんだ」という怒りは増すことにもなる。

一人の芸能記者として、各所でコメントをさせてもらっていることの骨子をまとめると以上のようになるかと思います。

実際「バイキングMORE」にリモート出演した時も、こんな話をさせてもらいました。リモート出演という、しゃべる側からするとやりにくい形で出ている僕を気遣って、司会の坂上忍さんが分かりやすく質問したり、こちらの主張や立場を補足したりしてくださっていました。

その中で、坂上さんが「中西さんは、どちらかというと、こちら側(芸能人側)に寄り添った形の芸能記者さんだと僕は思っているので、今回のような記事を書くことはないかと思うんだけど」とこちらの芸能記者としてのスタンスを説明する補足を盛り込んでくださった場面がありました。

僕としては、見てくださっている方に「記者も十人十色」ということが伝わりやすくなるし、ありがたい援護射撃でもあったのですが、出演後、自分の名前をツイッターで検索すると、中西という記者は芸能人側につくヌルイ記者ということだなというような記載がありました。

その仕事をしている人以外は門外漢であり、いわば、その世界においては素人です。そういった人に深い理解を求めるのはナンセンスなのでしょうが、それでも思いました。

「うるさいわ!年間200組以上、インタビューして原稿を書いて、各所から継続的に『また何卒よろしくお願いします』という言葉をもらってみろ!」

取材対象の何かを暴き、時には対立し、何かを出す。その大変さも勿論分かりますし、それをやってきた部分も僕の記者人生の中にありますが、経て、経て、今自分が最も得意であり、それを世の中に打ち出していこうと思っているのがインタビュー記事。その領域で年間200組以上取材するという意味を、素人に求めるのは適当ではないのでしょうが、それでもケタクソ悪い。

何かを暴くことだけが記者として頑張っていること。その短絡的な考えが、本当にあほらしい。ある人物の奥底の思いを伝える。どちらがいい悪いではなく、それぞれに難しさや苦労がある。

そこまで感覚的に理解しろというのはそれこそナンセンスなのでしょうが、だからこそこのnoteという場では自分のエゴとして、しかし、一つの真理として残しておこうと思いました。

ケタクソ悪さを連日スパイスで飛ばしにかかる46歳。

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