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「疑惑」

僕のおばあさんは7年前に96歳で死にました。

ウチは父親が会社員、母親が幼稚園の先生をしていたので、いわゆる共働きで、母親が幼稚園から戻るまで、僕と妹の世話は主に同居していたおばあさんがしてくれていました。

おばあさんが、いつも買ってくれていたのがこのスナック菓子でした。

これと全く同じではありませんが、当時出だしたこんな感じの緑黄色スナックでした。

孫に寂しい思いをさせたくない。

子どもはお菓子をあげたら喜ぶ。

でも、できるだけ体に優しそうなものを与えたい。

そして、実際、僕はこのお菓子が好きだった。

そんな流れもあったのか、このお菓子がいつも家にありました。

今となっては、おばあさんがどんな思いでこのお菓子を買っていたのか。

そして、毎日、これをバクバク食べている僕をどう見ていたのか。

それは分かりません。

今から40年以上前。当時のおばあさんは60歳くらいのはずです。

今の感覚からすると、まだまだ若いし、まだまだ衰える年ではない。いろいろなことを考える余力があった状況で、どんな思いでこのお菓子を毎日買いに行っていたのか。

僕や妹のどんな未来を見据えていたのか。

そして、どんな思いで死んでいったのか。

そのあたりは、今となっては、全てが想像の中にしかありません。

僕が想像すらつかないような深いことを考えていたのかもしれないし、つらいことを考えていたのかもしれないし、意外と楽しくしていたのかもしれないし、もしくは、そこまで考えてなかったのかもしれない。

その時の、その人の、リアルな思い。それは、その人がいなくなってからでは分からない。

田村正和さん追悼で放送されたテレビ朝日「疑惑」。

またしても、全力でテレビを見ました。

そして、見えない影を丁寧に、鋭く具現化していく田村正和さん演じる弁護士さんの姿を見ながら、おばあさんのことを思い出してもいました。

このスナックは、数日前「これ、好きなんやろ」と妻が買ってきてくれたものでした。

僕が、かつて話していたことを覚えていたようで、買い物の時に見つけて、ノンアルコールビールとともに買って来てくれました。

今は、僕にも家族ができました。

僕を親とする子も二人、授かりました。

この子たちが成長し、子どもを授かるようなことがあり、孫がお菓子を食べるようになった時、今よりは分厚いパズルのピースが一つ埋まるのかもしれません。

今となっては、おばあさんの声を聞くことはできません。父親もおばあさんの翌年に死にました。

ただ、まだ母親はいます。妹もいます。そして、ウチの家族もいます。妻の父も、母も健在です。

おばあさんや父親が喜ぶであろうこと、そして、今いる家族が喜ぶことをする。それしかないと、極めてシンプルなことを再認識する夜でもありました。

普通のことはあまり綴りたくないが、たまには普通のことも綴ってみる46歳。

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