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少し喧騒から離れる3つの視点

何もしない

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【学びたいこと】
昨日の話につながる部分
心をつなげる

【概要】
寝ること
瞑想すること
注意経済に対する政治的対抗行為としての「何もしない」を実践するためのフィールド・ガイド

★★★居心地は悪かもしれないが、どっちつかずの状態に身を置くのは悪いことではない。13
時間は存在する。時間は永久に接続可能な状態で、つねにそこにある。44

★★★「ちょっとでいいから。ひとりにしておいてくれないか」シェイクスピア
静寂とは何かが欠落しているということではなく、すべてがそこに揃っているということなのだ。56
無用であること。16
すべてを捨てろ、すべて捨ててしまえ。105
#fomo  取り残されることへの恐怖心ではなく、
#nomo  取り残されることの必要性と考えてみたら如何だろう? #nomoがしっくりこないのなら 、#nosmo ときどき取り残されうことの必要性でもいい。
「何もしない」には、積極的に耳を傾ける過程がつきもなのだ。そうすることで人種、環境、経済にまつわる不当行為を探り当てることができ、真の変化がもたらされると私は考えている。
「何もしない」とはある意味で洗脳を解く装置であり、バラバラになって機能しなくなったさまざまな感情に滋養を与えるものだ。55
それは、恋に落ちるのとー自分の運命が他人の運命とつながっていて、自分がもはや自分だけの存在ではないという、ぞくっとするような気づきーと少し似ている。277
人間としての私はこの複雑性の継承者なのだとー
私は生まれたのであって、設計されたのではないとー278


◆何もしない 定義:
そこに存在するものを知覚するために、動かずにじっとしているということ。56

「何もしない」とは、まず注意経済から身を引くことであり、そのあと何か別のものとかかわりを持つことだ。「何か別のもの」とは、ずばり時間と空間のことであり、中尉のレベルでは私たちが出会えるのはいちどきりかないない可能性がある。19

生命地域主義:
生命地域における市民権には、地域生態系に慣れ親しんでいるということはもちろん、その面倒を引き受ける覚悟を持つということまで含まれる。20

・そこから逃げ出すということだーしかも永遠に。
退却=リトリート
拒絶を行うにはある一定のゆとりー「余白」と呼んでもいいーが必要140

◆1退却
・その場にとどまりながらも、注意経済の枠組みから逃れ、フィルターのかかった世論に依存しすぎないようにすること23
気づくこと34
雪像区政とは共有であり、逆に引き金でもある。
いっぽう感受性とは対面の会話であり、これは楽しいこともあれば難しいこともあり、その両方の場合もある。58

◆2コンテクストに注意すること
●コンテクスト
SNS、フィルターバブルが創り出す=場所感の喪失246
◯出現の空間=遭遇・偶然269
自分が身を置く場所への健全な興味を持つ282
結論:「何もしない」とは、ひとつのフレームワークか(注意経済)から離れることであり、それは考える時間を持つためだけでなく、別のフレームワークで他の活動をするということだ。

出現の空間:
対面での遭遇、友人との時間をかけた散歩、電話での会話、仲間内での話し合い・・・272
可能性を考えてみることで、自分の現実と同じぐらい深い、他人の現実に気づく余地が生まれる。205
注意を深める193
◯現実とはつまるところ、そのなかに棲まうことができるものを指すのだ。私たちが注意の力を借りて新たな現実をともに描出することができれば、きっとその現実の中で互いにでであるのだろう。201

思索にふけることができる空間32
●注意:
注意はそのままだと常に新しいものへ漂っていく自然な傾向がある。
注意を同一の対象物にとどめておきたいのなら、その対象物について常に新しいことを見出すようにしなければならない。182


アンチテーゼ:
◆3生産性に時にアンチテーゼを唱えること
・結果だけが全ての環境47

◆人生の目的:
幸福と、のんびり思索にふけること
★★★救いようのない愚か者とは、自分が既に持っているものに決して満足することなく、自分が持ち得ないものを嘆くばかりの人間のことだ。74〜エピクロス

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