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『僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回』  刊行に寄せて

 先日『ネオウイルス学』という本を読んだ。ウイルスを単に病気をもたらす「病原体」として見るのではなく、ウイルスの機能や多様性、ウイルスが生命活動や生態系におよぼす影響を追究する多様なアプローチが面白く、楽しくページをめくっていった。

 個人的に特に印象に残ったのは、電子顕微鏡を使ってウイルスの微細な構造と働きに迫る研究を紹介する章だった。

 電子顕微鏡でウイルスや感染細胞を観察している時、自分の体の中でもこんなことが起きているのか……と想像するのが楽しいだけで、研究をしているという感覚はほとんどありません。(野田岳志『ネオウイルス学』p.171)

 野田岳志さんは2001年、インフルエンザウイルスの中に8本のゲノムが並んで取り込まれている様子を視覚化することに世界で初めて成功した科学者だ。インフルエンザウイルスの電子顕微鏡解析は1950年代から行われていたというのに、ウイルス粒子の中のゲノムを見た人はそれまで誰もいなかったという。

 ウイルス粒子の中を電子顕微鏡で観察するためには、ウイルスを薄く切る必要がある。一個のウイルス粒子のなかに8本のゲノムが入っていることを示すために、一つのウイルスをダイヤモンドナイフで千切りのように薄い輪切りにした上で、連続切片を何百枚も撮影していくのだ。その地道な作業の果てに、ついに誰も見たことのないウイルス粒子の「姿」をとらえることができた。

 そんな野田さんの現在の夢は、インフルエンザウイルスがRNAを合成している時の姿をとらえることだという。電子顕微鏡はサンプルを化学的、あるいは物理的に固定する必要があるため、「動き」をとらえることができない。だが現在、クライオ電子顕微鏡と高速原子間力顕微鏡の組み合わせで、動くウイルスの姿をとらえるための研究を進めているそうだ。

 究極的には、細胞のなかでウイルスが増殖する時、ウイルスタンパク質がどう作られ、どう動き、どう変化し、どう集合し、最終的にどうやってウイルス粒子が作られているのか、原子レベルで丸ごと見てみたい!(『ネオウイルス学』p.183)

 ウイルスが活動する姿をこの目で見たいという情熱。手を延ばしても届かない、つかもうとしてつかむことができない。それでも何とかして近づきたいという思い。「愛とは、愛するものをつかめない(つかまない)ということである」とはアメリカの哲学者ティモシー・モートンの言葉("All Art is Ecological" p.3)だが、僕はウイルスの動きを「原子レベルで丸ごと見たい」という科学者の叫びに、ウイルスへの強烈な「愛」を感じた。

 どれほど見たいと願っても見えないウイルスの姿、形、動き。しかしそれを何とかしてこの目で見ようと、ウイルスをダイヤモンドナイフでスライスし、凍結させ、物理的、化学的に動きを封じ込めていく。つかもうとするものへの憎しみではなく、愛が、愛するものを傷つけていくのだ

 人は一日に何度も、他の生物種を体内に取り込む。動物や植物や微生物と毎日、恋人や家族とするよりもラディカルに混ざり合う。肩を寄せ合うのでも、口づけするのでもなく、文字通り「食べて」しまうのである。
 食べることも呼吸することも、地球生命圏の他者と混ざり合うことである。このラディカルな他者との混交を拒絶すれば、僕たちはたちまち亡びてしまう。人はだれもが他者の存在を渇愛している。生きることは、他者への愛と不可分なのである。

 だが愛はときに破壊と背中合わせである。風を受けて海岸を自動車で疾走する喜び。雲の上から海を見下ろし、世界の都市を飛び交う自由。太古から眠る化石燃料を燃やしながら、これまで不可能と思われていた技術を実現していく興奮。大気を汚染し、海洋を酸性化させ、無数の生物種の生存を脅かす人間の「エネルギッシュ」な活動はすべて、地上を生きる純粋な喜びと不可分なのである。

 ビッグバン以前の時空の構造を探り、ウイルスの遺伝子の構造を解明し、免疫系が作動する仕組みに迫る。このすべてを導く人間の強烈な「知への愛(philo-sophy)」は、いまを生きるという経験の奇跡を、驚くべき緻密さで描写していく。だが同時にその同じ力が、地球規模の生態系を撹乱し、おびただしい数の生物種を絶滅に追い込んでいるのだ。

 今日、新しい本が出る。『僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回』(集英社)、本書の主題は、パンデミックや気候変動に直面する時代を、僕たちがどのように生きていくかだ。しかしこの本で僕は、読者に「行動」を呼びかけていない。この本にもくり返し登場するティモシー・モートンが口を酸っぱくして語るように、僕たちは「エコロジカルになる」ために行動する必要はない。この星で生きている限り、誰もが不可避的に、すでにどうしようもなく「エコロジカルである」からだ。

 大きく息を吸ってみてほしい。おびただしい数の微生物が体内に取り込まれていく。植物の力を借りて、地球生命圏が地道に作ってきた大気だ。一億五千万キロ離れた星からあたたかな光が降り注ぐ。脳に、血液に、内臓に、何種類ものウイルスが棲みついている。自分のどこを探しても、自分でないものがいない場所はない。

 コペルニクス的転回の前後で、天体の運行の規則は変わらない。エコロジカルな転回の後にもまた、存在の原則は少しも変わらない。この地上ですべては、どうしようもなくエコロジカルなのだ。自己同一性に先立ち、他者との混交がある。だが、この当たり前の事実に気づいていくことには大きな意味がある。僕たちはいまより弱くなることができる。いままでより非暴力的に愛することができるようになる

 発売日の興奮と勢いに任せてこの文章を書いてきた。とにかく僕はいま、この本を一人でも多くの読者に届けたい。この時代に心を壊さず、しかも感じることをやめないで生きていくために。新しく出会う読者と、この時代をどう生きていくのか、これからともに考えていきたい。

                      2021年9月24日 森田真生

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9月26日(日)に、『僕たちはどう生きるか』刊行記念トークライブをオンラインで開催します。ご縁がありましたらぜひご参加ください。
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