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#85 新しい人よ眼ざめよ



1.高校時代の旧友と44年ぶりの再会

今夏、高校時代の旧友、N君と44年ぶりに再会しました。1年早く社会人となった彼とは、その後、行く道も異なり、共に紆余曲折を重ねる中で、40年以上も音信不通が続いていましたが、正に千載一遇の機会を捉えて、郷里(鳥取)での再会が実現しました。
 意外にお互いのことを知らなかったことを再認識すると共に、40年の時が経ったからこそ話せる話題もあり、3時間余りの歓談を堪能しました。
 N君は、悩み多き学生時代から、大江健三郎の書を愛読していたとのこと。30代後半から大江作品を読み始めた私とは、読書歴は比較になりませんが、N君が最も感動し、影響を受けた大江作品が「新しい人よ眼ざめよ」(1983年6月刊)ーN君に触発され、私も同著を読んでみました。

2.「新しい人よ眼ざめよ」を読む

 私が大江作品を読み始めたのは30代後半からです。大江さんが、1994年9月に「小説執筆に終止符」宣言をして以降の、長男光さんと家族との共生を取り上げたエッセイを中心に読んでいたため、1983年6月に出版された同著は、読んでいませんでした。
 初版本の帯には、井上靖の書評があります。

 大江健三郎氏の『新しい人よ眼ざめよ』は障害児と共に生きる魂の小説である。この何年か、私はこれほど大きい感動をもって読んだ小説もないし、これほど冷静な気持ちで読みつづけ、読み終わった小説もない。また読み終わったあと長い間、思いを作者からはなすことのできなかった小説もない。この連作は多くの人に読んでもらいたいと思う。そして誠実な魂のこの上なく優しい、強く美しい旋律に触れていただきたいと思う。

井上靖(大佛次郎賞選評より

初版から、まる40年経って初めて「新しい人よ眼ざめよ」を読みました。前述の通り、私は、大江作品のエッセイ(「恢復する家族」(1995年2月刊)から「新しい人」の方へ(2003年9月刊))を先に読んでいました。
 講談社の文庫本(2008年5月第14刷)には裏表紙に以下のような紹介文が書かれています。

 障害を持つ長男イーヨーとの「共生」を、イギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩を媒介にして描いた連作短編集。作品の背後に死の定義を沈め、家族とのなにげない日常を瑞々しい筆致で表出しながら、過去と未来を展望して危機の時代の人間の<再生>を希求する、誠実で柔らかな魂の小説。

文庫版「新しい人よ眼ざめよ」(講談社:裏表紙)

 同著から、1983年6月の発刊から現在、そして未来へもつながる大江さんのメッセージとして、いくつかの文章を書きとどめておきたいと思います。小説の中の主人公の言葉が、イーヨー(光さん)と未来のそれぞれの「新しい人」に向けたメッセージになっていると思います。

 生について、死について、喜びについて、自由について、ブレイクは定義をあたえた。この小説の主人公もまた、障害者である息子(イーヨー)が親の死後も手がかりとする定義集をのこしたいと思う。

文庫版「新しい人よ眼ざめよ」(講談社)P312

 この作品の中でのブレイクの詩句と主人公の息子の日常生活の語句(行動)とは見事に唱和する。ブレイクの「無垢の歌」は、この唱和を経て、二百年後の日本に生きる。
 この小説は、主として主人公の家庭の内部をえがきながら、1980年代からさらに暗いふたしかな未来にむけて生きる新しい人に向けて書かれた社会小説である。
 未来に生きる新しい人のわきに、もうひとりの若者として再生する自分を立たせる、その想像の中に、主人公は自らの家庭をおき、世界をおく。

文庫版「新しい人よ眼ざめよ」(講談社)P314

 今月14日から18日まで、5夜連続で、女優の高畑淳子さんによる「無垢の歌、経験の歌」(「新しい人よ眼ざめよ」所収)の朗読がNHKラジオ第一で放送されました。
 同著を読み終えた後、朗読を聴いてみましたが、こちらも味わいがあって良いです。(らじる★らじるで10月上旬まで聴くことができます。)
朗読 高畑淳子が読む大江健三郎「無垢の歌、経験の歌」第1回
同 第2回
同 第3回
同 第4回
同 第5回(最終回)

3."「新しい人」の方へ"を読む

「新しい人よ眼ざめよ」を読んだあと、大江さんのエッセイ”「新しい人」の方へ”を、15年ぶりに読み直してみました。
 「恢復する家族」以降の4作品は、何れも、奥様である大江ゆかりさんの画が表紙・挿絵ともに採用されており、優しく柔らかい雰囲気を醸し出しています。

そして、今回、読了後に大江光さんのCDを聴いてみると、あたらめて、光さんの中で起きた「新しい人」への変化を感じました。

大江光作曲の4枚のCD

”「新しい人」の方へ!の文庫本の帯には、「ノーベル賞作家がアドバイスする人生の習慣作り」と書かれています。同著の中から、いくつか、書き留めておきたいと思います。

それは、ウソをつかない勇気に似ているところがあります。しかし、むりに勇気を出して、というのじゃなくーむりにでも、勇気をだすことが必要な時はありますがー自然な生き方として、私が文章のなかで幾度か使ってきた言葉でなら「生きる習慣」として、それが身についている場合、私はウソをつかない力がある、とみなすのです。

文庫版”「新しい人」の方へ”(朝日出版)P102

 他の人のいうことによく耳をすまし、注意深く受け止められるようになれば、自分が本当にいわなければならないことを確実にまとめることもできます。他の人のいうことに耳を貸さないで、ただ自分の意見だけを言いたてることの弱さも自覚されます。そこから、忍耐強く他の人を説得する力が生まれて来ます。

文庫版”「新しい人」の方へ”(朝日出版)P138

それでも、子供になにができるだろう、とせせら笑うことが、正しいだろうか?笑われてもいい、と勇気を出して、自分は世界の人のために苦しみたい、という子供がいることに、私は希望があると思います。

文庫版”「新しい人」の方へ”(朝日出版)P156-7

 少なくとも、「新しい人」になることをめざしてもらいたい。自分のなかに「新しい人」のイメージを作って、実際にその方へ近づこうとねがう。子どものときそうしてみるのと、そんなことをしないというのでは、私たちの生き方はまるっきりちがってきます。
 そして、私が強く念を押しておきたいのは「新しい人」というのを、新しい/人という二つの言葉のつながりとしてでなく、切り離せないひとかたまりの言葉、「新しい人」として、自分の中につかまえてもらいたいということです。(中略)
 「新しい人」というのは、ほかのあり方と比較できない、特別なものなんです。

文庫版”「新しい人」の方へ”(朝日出版)P196-7

4.”「新しい人」に”(第71回NHK全国音楽コンクール高等学校の部課題曲)

高校時代の旧友N君との44年ぶりの再会と語らい、そして、1983年6月初版(40年前)に世に出た大江健三郎さんの「新しい人よ眼ざめよ」を読んだ後で、その20年後に書かれた”「新しい人」の方へ”を読み、大江光さんのCDを聴いてみると、「新しい人」の輪郭が見えてきたような気がします。「新しい人」は若者だけの特権ではないと思います。(そんなことをN君と共に感じています。)
 大江健三郎さんは、今年3月、88歳でお亡くなりになりました。「巨星墜つ」ー多くの人がその死を悼みましたが、私もその一人です。
 今回、N君との再会がなければ、このような形で読み返すことはなかったと考えています。正に、大江さんの「新しい人」のメッセージを伝えていくこと、自分も「新しい人」の一人となるように生きていくことに改めて思いを致しました。
 最後に、”「新しい人」に”は、大江健三郎作詞/信長貴富作曲で、2004年のNHK全国音楽コンクール高等学校の部の合唱の課題曲として演奏されました。今から19年前ですが、高校生の若い歌声が心に響きます。






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