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#10 「八月や六日九日十五日」:いのちのバトン

1.八月や六日九日十五日

オリンピックの開幕と共に、新型コロナの感染再拡大が連日報道され、8月を前に落ち着かない日々を送っていましたが、ふと我に返り、「8月6日(広島原爆忌)、9日(長崎原爆忌)、15日(終戦の日)」は、こんな中でも、しっかりと、大事に過ごそうと考えました。

「六日九日」が七語、「十五日」が五語であり、前に、「八月や」(五語)を載せて、口ずさんでみました。「八月や六日九日十五日」。私に俳句のたしなみはありませんが、なかなかリズムの良い俳句ができたと独り悦に入っていました。

8月に入り、1日付の読売新聞のコラム「編集手帳」で、「幾人もが詠み、最初の作者を探した人もいる俳句の世界では知られた一句」として取り上げられているのを読んで驚き、記事に書かれた経緯を調べてみました。

2017年8月15日付の産経新聞によると、

▼千葉市在住の小林良作さんが、自身の所属する俳句結社に「八月六日九日十五日」という句を2014年に投稿した所、冒頭を「八月や」とする句が、既に多くの人に詠まれており、選外になった

▼小林さんが、最初の作者は誰だろうと、調べを進めると、広島県尾道市の医師、故諫見(いさみ)勝則(長崎県諫早市出身)さんに行きついた

▼諌見さんは、海軍兵学校時代に、江田島から広島の原爆のきのこ雲を目撃し、戦後、長崎医科大学を出て、広島・長崎の被爆者の診察も行った方

▼その諫見さんが、平成4年(1992年)の夏、診察室のカレンダーを見ながら詠んだ作品が、最初との結論を得た。

➡19歳で原爆を目撃した諫見さんが、47年後、66歳で詠んだ句です。

本日付の西日本新聞では、「<八月や六日九日十五日>を詠んだ福岡人」というタイトルで、諫見さんの更に16年前(1976年)にこの句を詠んだ人(=小森白芒子(はくぼうし)がいたことが紹介されています。https://www.nishinippon.co.jp/item/n/781510/

「八月や六日九日十五日:小気味よい五七五の調べなのに、この国の8月がまとっている静寂や無念、鎮魂がにじむ」。同紙は、この句からにじみ出る特別な情感を的確に表現しています。
『この句を詠んだ多くの人たちが、単に語呂合わせでこの句を詠んだのではないことに、強い共感を覚えます。』

2.76回目の長崎原爆忌

8月9日、本日は76回目の長崎原爆忌。平和記念式典では、最高齢の被爆者代表として岡信子さん(92)が「平和への誓い」を読み上げました。一つ一つの言葉を噛みしめながら、しっかりと読み上げる姿に、被爆者として、核兵器の廃絶を訴える強い決意が伝わって来ました。

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この写真は「焼き場に立つ少年」。アメリカの従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏(1922年5月7日~2007年8月9日)が、1945年10月に撮影したもので、死んだ幼子を背負い火葬場に現れた少年の姿をとらえています。

2017年の12月に、ローマ教皇が、この写真にメッセージを添えたポストカードを全世界に配布したことから多くの人が知るところとなりました。

ジョー・オダネル氏は、1945年9月から1946年6月まで、7か月日本に滞在し、広島・長崎の写真を約300枚撮影しましたが、アメリカに帰国後、忌まわしい思い出として、43年間、トランクに入れたまま封印していました。

しかし、1989年、訪れた教会で、反核を訴えて炎に焼かれるキリスト像を見たことがきっかけで、反核の訴えを始めることを決意します。オダネル氏、67歳の時です。

アメリカ国内では、厳しい反対や妨害に遭いながら、オダネル氏は反核の活動を続け、日本にも6回来日しています。奇しくも長崎の原爆忌の日に、87歳で亡くなったのも、単なる偶然とは思えない深い意味を感じます。

コロナ禍の中、オダネル氏に関わる本を読んでみました。「トランクの中の日本」(ジョージ・オダネル著)、「神様のファインダー」(坂井貴美子著)、「焼き場に立つ少年は何処へ」(吉岡栄二郎著)

3.いのちのバトン

本日の平和記念式典で、被爆者代表として「平和の誓い」として読み上げた岡信子さん(92歳)、そして、後半生を、反核のための活動に捧げたジョー・オダネル氏、2人の勇気ある行動に深い感銘を覚えます。

長い間封印していた記憶と事実に、正面から向き合い、改めて次の世代に伝えるべきものとして訴えた、いのちのバトンが渡されたように感じます。

コロナ禍は続きますが、8月は、日本人にとって、忘れられない、忘れてはならない歴史的な出来事が立て続けに起こった特別な月です。改めて、自分が生きることの意味や生かされてきたことに思いを致す時間とすべきではないでしょうか。

八月や六日九日十五日 いのちのバトンを受けて、次の世代に伝えていく大切さを思い、この歴史的な日を、風化させることなく、次の世代に伝えていきたいと思います。

#いのちのバトン

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