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#58 八月や六日九日十五日

1.今日は「立秋」

本日、8月7日(日)は「立秋」、二十四節気の第13。暦の上では、今日から「」であり、時候の挨拶も、「暑中見舞い」ではなく、「残暑見舞い」になります。
残暑」というには、まだまだ、本格的な暑さが続きそうですが、それでも、夏至から47日が経過し、少しずつ、日の出は遅く、日の入りは早く、日照時間は短くなっています。
これからの日々、秋の気配を感じる小さな変化を楽しみたいと思います。

東京の日の出 日の入り(国立天文台暦計算室

私は、学生時代、混声合唱団に所属していました。入団後、初めて歌ったのが、立原道造の「優しき歌」(小林秀雄作曲による混声合唱組曲)でした。特に3曲目の「また落葉林で」の歌詞が好きでした。「いつの間に もう秋!昨日は夏だった….」今でもメロディーと共に、思い出します。
合唱団京都エコー 指揮:浅井敬壹による演奏

いつの間に もう秋! 
昨日は夏だつた……おだやかな陽氣な
陽ざしが 林のなかに ざわめいてゐる
ひとところ 草の葉のゆれるあたりに

立原道造「優しき歌」:「また落葉林で」より

2.八月や六日九日十五日

昨日(8月6日)の77回目の広島原爆忌、8時15分から1分間黙とうしました。
昨年の7月の終わり、”8月は、6日(広島原爆忌)、9日(長崎原爆忌)、15日(終戦の日)の3日は、流されることなく、丁寧に過ごそう”という思いから、「六日九日十五日」の前に、「八月や」とつけて、期せずして「八月や六日九日十五日」と詠みました。私には俳句のたしなみはありません。

翌8月1日の読売新聞の「編集手帳」で、「幾人もが詠み、最初の作者を探した人もいる俳句の世界では知られた一句」と記されているのを見て、この句について関心を持ちました。参考資料にあたって調べた経緯を、昨年のnote#10に書いています。

今年は、8月1日に、この句を日経新聞「春秋」が取り上げていますが、この句の存在は、今や広く知られています。
しかし、今年の六日、九日、十五日の迎え方は、やはり昨年までとは違うものがあります。予想だにしなかった出来事が起こったからです。


日経新聞「春秋」より(2022年8月1日付)

昨年、記事を読んだ後、是非、小林良作さんの著書を読んでみたいと思い、「」発行所に1部注文しました。50頁の小冊子ながら内容は素晴らしく、感動して読み終えたあと、もう一部注文しました。
この著書を誰かに渡すタイミングがあるかも知れない、と思ったからです。
その過程で、「鴻」代表の谷口摩耶さんや、著者の小林良作さんともお話する機会を得ました。

「八月や六日九日十五日」「『八月や六日九日十五日』のその後」

●インターネットは勿論、俳句団体や図書館を活用して、精力的な探索活動を行った小林さんの誠実で粘り強い姿勢に感銘を受けました。
●思い立ったら、大分県宇佐市まで、更には尾道まで出向く、小林さんの行動力、正に「現地・現物・現人」の三現を体現した探索活動を通じて、この句の作者である諌見勝則氏に行きつきます。
2016年10月21日付毎日新聞(「八月や」詠み人は?調査1年「ミステリー」解く)には、大分県宇佐市の城井一号掩体壕(えんたいごう)公園の写真が載っています。

探索の過程で、小林さんが出逢った人々、そして、「詠み人多数」の1人1人が、八月六日、九日、十五日に特別な思いを持つ、心映えの良い方だったと感じました。
「詠み人知らず」とされていたこの句を『詠み人多数』の句として、多数の詠み手の1人1人に新たな光を当てた小林良作さんの功績を、心から讃えたいと思います。
         「八月や六日九日十五日
私自身も、この句を、詠み続け、伝え続けて行きたいと思います。 

3.届いた平和へのメッセ―ジ

8月6日-7日の2日間、稲佐山平和祈念音楽祭2022 が開催されています。
これは、1987年から2006年まで、「長崎から広島に向かって歌う」とのメッセージをこめて、20年間さだまさしさんが、8月6日(広島原爆忌)に開催していたものです。
今年は、その思いを受け継ぐ形で、コロナ禍を乗り越え、初めて観客を迎えての開催となりました。
あなたの大切な人の笑顔を守るために、あなたは何をしますか?”ーこのメッセージを届けるためのさだまさしさんの歌声が昨日ライブで届きました。
「笑顔で音楽を聴くことができることが『平和』」ー改めて歌と音楽の力を感じました。歌詩の中の、「叔母(彼女)」の言葉は、言葉にならないくらい、すごいと思います。

その日の朝が来ると僕はまずカーテンを開き
既に焼けつくような陽射しを 部屋に迎える
港を行き交う船と 手前を横切る路面電車
稲佐山の向こうの入道雲と 抜けるような青空

In August nine 1945 この町が燃え尽きたあの日
叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた
気付いた時炎の海に独りさまよい乍ら
やはり振り返ったら稲佐の山が見えた

もううらんでいないと彼女は言った
武器だけを憎んでも仕方がないと
むしろ悪魔を産み出す自分の
心をうらむべきだから どうか
くり返さないで くり返さないで
広島の空に向かって唄おうと
決めたのは その時だった

「広島の空」(さだまさし作詩)

9日、15日、背筋を伸ばして迎えたいと思います。
人生における自分の役割を改めて考えるためにも。



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