「はじめての哲学的思考」 苫野一徳を読んで

前回の「正義の教室」に続く哲学系の新書。私の読書癖として、一つのジャンルにハマると立て続けに同ジャンルを読んでいくところがあり、今回もそうなりそうだ。

 この本は「哲学的思考」という題名から分かるように、哲学の系譜や人物とそのエッセンスなど、哲学的思考へ導くために多少出ては来るが、それらをまとめた内容ではなく、哲学と宗教の違い、哲学と科学の違いから入り、哲学を使った思考方法、問題解決、ディベート方法などを具体的に分かりやすく書かれている。

 分かりやすい哲学系の書籍として前出の「正義の教室」と共通点と相違点をあげてみようと思う。

 まず共通点として

その問題をとことん考え、そしてちゃんと〝答え抜く〟ことだ。
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.202). Kindle 版.

「正義の教室」においての四人の高校生たちも、他人の考えについて答え抜こうとしていた。

対話や議論において重要なのは、こうした「一般化のワナ」に陥ることなく、お互いの経験や考えを交換し合って、どこまでなら納得し合うことができるのか、その〝共通了解〟を見出そうとすることだ。
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.532-534). Kindle 版.

 ここで言う「一般化のワナ」とは、自分の経験値を一般化して、普遍的に主張してしまうことだ。「正義の教室」においても各人の思想をそのように語っていた。以下もそうだ。

強い〝信念〟にこだわればこだわるほど、僕たちの本質観取の目は、多くの場合曇らされてしまう。だから僕たちは、そんな自分の〝信念〟に特に自覚的である必要があるのだ。
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.557-559). Kindle 版.

 具体例としては「べし」(当為)に気をつけろとのこと。そんな絶対的な答えはないのだから。

そしてこの本では「欲望」と表されているが、「正義の教室」の推薦文で書いた、各登場人物の「バックグラウンド」と同義的なことではないのか。その主張を欲する根源、背景を慮ることとして。

それを哲学者の竹田青嗣は、「欲望相関性の原理」と呼んでいる(『現象学は〈思考の原理〉である』)

 相違点としては、「正義の教室」ではロールズの「無知のヴェール」を生徒たちに実施し、そこで「欲望」を表明させたが。この本では「無知のヴェール」もロールズの信念に合わせて作られた思考実験だという。

要するに、ロールズの思考実験は次のような推論でなり立っているのだ。生まれの差によって社会的成功に差が出るのはおかしい、だからこの差がない状態で議論をしよう、そうすれば、差をできるだけ取り除こうとする正義の理論ができあがる……。つまりロールズは、論点先取りの、いい換えれば結論ありきの思考実験をやっているのだ。誠実なロールズは、この自分の理論が本当に正しいといえるかどうか、あの手この手で検証しようとしている。でも僕は、その検証は失敗に終わったと考えている
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1429-1434). Kindle 版.

そして私自身が公共哲学に興味を持つきっかけとなった、マイケル・サンデルについても

 僕はサンデルの「ハーバード白熱教室」には当初からとても批判的で、というのも、そこでの議論がことごとく「問い方のマジック」に陥ったものだったから。多くの人の興味を哲学にひきつけてくれたという意味では大変な功労者だけど、あんまりいい哲学的議論じゃなかったなと思う。

といっている。「問い方のマジック」とは二項対立のことだ。これも「正義の教室」の推薦文で書いたが、興味を持たせるには功利主義の「トロッコ問題」などは良い題材だと思う。しかし本書では最終的に「共通了解」を得ることを目的としているのでジレンマだけでは終わらない。

「正義の教室」では四人の「共通了解」という形では終わらず、正義(まさよし)が自分の考えを得ることができたというところで終わる。四人それぞれが議論の末に、自分の「一般化のワナ」から脱却した新たな考えを表明し、さらにまたそこを始点とした議論を行い「共通了解」を得るところまで行くのが本書の哲学対話なのである。

 哲学対話は確かにそれなりの人数で実践することにより効果的であるとは思うが、なかなかその場を作るのは難しい。それに進行役が熟知していないと方向性がずれていってしまうような気がする。特にテーマの設定と「ニセ問題」から新たな問いに変えることが難しく思える。なのでそのような哲学対話の場に参加するのが良いのかもしれない。

 しかし、それができなくても自己自身との対話による問題解決にも利用できるかもしれない。とりあえず私は子供に問いかける時に試してみようかと思っている。

以下に気になった箇所を引用しておきます。

繰り返すけど、それは「絶対の真理」とは全然ちがう。あくまでも、できるだけだれもが納得できる本質的な考え方。そうした物事の〝本質〟を洞察することこそが、哲学の最大の意義なのだ。
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.135-137). Kindle 版.
宗教は、聖なるものへの感受性、科学的な精神、共同体との一体化、生きる意味の希求など、人間の精神的な営みのほとんどすべてを含みこんでいる。
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.301-302). Kindle 版.
哲学は〝たしかめ可能性〟を追うことで、〝たしかめ不可能〟な神話や信仰をめぐる争いに、何とか終止符を打とうと考えてきた。
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.330-331). Kindle 版.
〝哲学的思考〟とは、こうした物事の〝本質〟を明らかにする思考の方法なのだ
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.485-486). Kindle 版.
人を殺してはならない最も根本的な理由、それは、「人を殺さない」ということが、長い戦争の歴史の果てに、人類がついに見出し合った〝ルール〟だからなのだ。いい換えるなら、もし僕たちが「自由の相互承認」を土台とした社会で暮らしたいと願うのなら、そのかぎりにおいて、僕たちは「人を殺してはならない」のだ。
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1206-1208). Kindle 版.
 命令の思想を、条件解明の思考へと転換しよう。たとえば、「人に思いやりを持て!」と命令するのではなく、「どうすれば人は人を思いやれるんだろう?」と考える。
苫野一徳. はじめての哲学的思考 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1344-1345). Kindle 版.

 


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