#D2021 Dialogue Vol 2 食と民主主義

今回のテーマは「食と民主主義」。それと対置される言葉は「食の独裁」だろう。ここでいう「食の独裁」とはなんぞや。やはりここでも一貫したモチーフとしての歯車である「食」が資本主義というシステムに組み込まれた事によって、商品化し、棚に整然と陳列させられ、企業に独占され、広告で食欲と購買意欲を駆り立てられ、ただただ欲望に任せるままに消費させられている状態を言う。

商品化してしまった食は、経済成長のスピードと食物が腐敗していくスピードとのズレや過剰な管理体制によって、食品ロスが発生する。世界の食料生産量は約40億トン。そのうちの約三分の一である、約13億トンが廃棄されている。本来食べられる食品が廃棄される「食品ロス」は日本において、年間食品廃棄物量、約2550万トンのうち、約612万トンにも上る。これは販売店だけでの問題ではなく。農業の現場でも、ダンボールに入らない収穫物はその時点で廃棄されているようだ。

企業の独占とは。砂時計の形を思い浮かべてほしい。正三角形を砂時計型に相似にした状態だ。生産側は多く、下に向かって徐々に小さくなり、最小部を越えるとまた、消費者側へ向かって広がっていくのが食品流通の形で、最小部が企業の独占を表している。独占すると往々にして隠蔽や虚偽が行われやすい。今回のコロナ禍で、ドイツの食品加工工場でクラスターが発生した際に、そこにいた従業員が出稼ぎに来た、ルーマニア人やブルガリア人だったことが判明した。この構造はアパレルと同じく、旧態然とした低賃金、重労働で搾取されているグローバルサウスの現状が露呈された。

それではなぜ独裁になってしまうのか。これはあらゆることの独裁に共通すると思うが、それは、無関心、無思考もしくは浅薄な思考だろう。これは全体主義への道のりと同じだ。無関心の要因は広告による欲望の喚起。供給過多による自己喪失。自作能力の収奪などがあると思う。ここでもう一つ指摘されたのが、ジェンダーも大きく関わっているということだった。つまり食事は女性が作るもの。男子厨房に入らずの男性優位社会が助長させたとのことだ。

ではどうすれば食を自分たちの手に取り戻せるのか。やはり独裁の要因のアンチテーゼとして、イメージに惑わされず、疑問等は調べ、考える。出演者である「分断の哲学」の著者、藤原辰史氏いわく、お客様センターに問い合わせるのもひとつの方法だとのこと。

供給過多においては斎藤幸平氏の「脱成長」「スローダウン」を企業側に求めたい。が、消費者がおのずからスローダウンし、立ち止まり。考えることだろう。

そして文字通り食を自分の手で作ること。

最後に進行役の永井玲衣氏の行っている「哲学対話」では、小学生を対象にしたときのテーマに一度も「食」が出てこなかったとのこと。それだけ日常的であたりまえのことだから出てこなかったのだろうと彼女は言っていたが、それ以外に僕が思うのは、子供にとって「食」への関心度は他のことに比べて低いのだろうと思った。僕の子どもたちも中学になるが未だに食への関心は低い。僕も食に関心を持ち始めたのは、ある程度の年令になって、健康に気を使うようになってからだ。もちろん関心度合いは個人個人違うが、関心対象の優先度を時々入れ替える。つまり当たり前を見直す大切さを示唆したくれた。


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