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マスク【エッセイ】

 後に『北の国から』の舞台となる、麓郷にいた四、五歳のころ。高熱で、母におんぶされ病院に向かう、吹雪の夜道。母の背と毛糸のショール、ガーゼのマスクの、優しく、ふんわりとした温もりを、ふと、思い出す。
 そんな温もりとは全く趣が異なる代物、例の「マスク」が、本日到着した。マスクくんも自信なさげに、郵便受けに横たわっていた。さてどうしたらいいものかと、思案した。
 布製はフィルター性能が弱いって、専門家は言う。が、あの方は、「洗えて繰返し使える」と宣う。またその場しのぎかと、思える。
 私の見間違いかもしれないけれど、政府関係者で着けているのは、あの方だけのよう。そのマスクを国民に、着けよ、というのだろうか。だれかが言ったらしい。「戦時中、竹やりでB29を撃墜せよ」に等しい、と。
 ネットでは、大きめに加工する方法を紹介する、心優しきひともいる。だけど、薄くなる分、補強が必要になるのじゃ。加工が必要なものを配らないでよ、と言ってやりたい。
 医療資材が引き続きひっ迫しているらしい。四六六億のマスクよりも、きちんと手を打ってくれているのだろうか、と不審に思う。
 なんだかんだと思案中、あの方の傍にいらっしゃる問題発言男の方の発言。「十万円欲しいヤツにはくれてやるから手を挙げろ。俺は挙げないけどな」と、私にはそう聞こえた。
 私は余裕ある方かもしれない。けど、堂々と手を挙げよう。その分は満額、寄付したい。Aさんや国会議員もそうしたら、と言いたい。
 結局、「受け取るの、や~めよっ」、と決める。「熨斗」を付けて、投函することにした。
 「総理大臣殿 せっかくの贈り物ですが、私は間に合っています。他の方に使っていただいてください。ただ、性能が劣るかもしれない品を譲るのも、とても気が引けますが。(配達員の方、申しわけございません)」、と。

 写真は、前回のエッセイ、「ウォーキング」で書いた、神田川沿いの店で購入したマスクです。洗った使い捨てマスクに重ねて、使っています。

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