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展覧会記録とその周辺:「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」/田中功起「可傷的な歴史(Vulnerable History)」

京都市京セラ美術館「うたかたと瓦礫」

一昨日(2021/02/11)、京都市京セラ美術館で椹木野衣(企画・監修)「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」を観に行きました。○年代という時計的な時間とは別に、特定の事件や事故によって基底される時間として元号を捉え直したうえで、明治・大正・昭和のように「平成美術」を語ることは可能か。そうだとしたら平成とは、国民と天皇との関わり方が変わり、理解を超える事件や事故によって時間が傷を負い、そのつど手法を変え表現していくアーティストたちに伴う潜在的な「うたかた」性と、彼らの作品がつもり瓦礫(デブリ)と化していくその様子こそ、平成美術と仮置きすることができる。駆け足でまとめれば、これが「平成美術」の椹木式の整理でした。

歴史化も可視化も困難なはずの「平成美術」を語る視角としては極めて椹木さんらしいタッチだと感じ、文献で知っていただけの作品にたくさん触れることができたのは、とても得難い機会でした。特に、〈テクノクラート〉「パブリックザーメン」(公衆精子計画、やはりセンセーショナル)、國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト(人間がいくら機械を作っても、結局それを止めるのは「水」というアイロニー、原発事故との関連は自明です)、〈Chim↑Pom〉「スーパーラット」(いわばリアルピカチュウ、ネズミを捕獲している映像とセットなのが良かった)、AI美芸研「S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら」(あの佐村河内守の指示書が展示されていて感動、「AI美芸研としては、これを民事事件として扱わない」からの解釈が面白く、昔やったトークイベントを思い出します)など、改めて自分自身が「ただよう」ように観なおしてみても、ああ確かにこれが僕の辿ってきた平成なんだよな、という感覚になりました。

あと〈クシノテラス〉というアウトサイダーアート専用のアートスペースのことを初めて知り、展示されていた稲村米治「昆虫千手観音像」は普通に引きました(笑)え、まじで?うそやろ?みたいな。いや「玉虫厨子」とかあるけどさ、ほんまに千手観音が全部昆虫で作られていて、でもきれいで……、衝撃なのでとにかく皆さん見てください。

ちなみにこの展覧会、なんと「平成割」なるものがあり、平成生まれの入場者は200円引きになります。ただ個人的には図録付き入場券がおすすめで、トータルではこちらの方がお得です。まあ僕は、椹木さんの文章が読みたくて図録付き一択だったという感じなのですが。

灰原千晶「渡れるかもしれない橋」と田中功起「可傷的な歴史(Vulnerable History)」について

そして実は同日の夜、東九条のTheatre E9で、田中功起「可傷的な歴史(Vulnerable History)ロードムービー」を観てきました。東京に住む在日コリアン3世と、チューリヒから来た日経スイス人の二人が、関東大震災の虐殺現場やヘイトスピーチが行われた場所に行き会話をしながら、アイデンティティとは何か、異なる人びとが「いかに共に生きるか」ということを考えるドキュメンタリー映画です。ひとりの中にあるアイデンティティの複層性、相対性、社会構築性が様々な事件や無理解によってぐちゃぐちゃになる悩ましさを何とか言語化しようとする、問いの多い作品でした。

その作品を観ながら、午前中に京セラ美で観た、灰原千晶「渡れるかもしれない橋」/灰原千晶・李晶玉「突然、目の前がひらけて」を思い出し、頭の中でリンクさせていました。この「橋」は、ちょうど隣り合わせになり塀で仕切られている朝鮮大学校と武蔵野美術大学の生徒たちの間で共同制作の話が持ち上がったことがきっかけで生まれた、両校の塀に橋をかけるプロジェクトです。「橋をかける」とだけ聞くと美しさだけが先行しますが、そこに至るまでの間に、いかにお互いがお互いを知らなかったについての告白が、そして「」マイノリティ/マジョリティ」という構図への違和感の吐露が、手紙によってやり取りされています(それも展示されています)。

そして、本稿最下部に引用している記事にもあるように、塀を壊す、というパフォーマンスにしなかったのはなぜかと聞かれて、制作者たちが、まず李が「塀は、壁はむしろあってほしいし、それはいじっちゃダメだと思った」と答え、灰原も「(塀を壊すというのもありかなって最初は思ったけど)でも、日本に多文化主義はないということを前提に、多文化主義とは何か?という講義に参加する機会があって、そこで「同化主義」という言葉が出てきて、ハッとしたんです。/今回の企画展を進めていく対話の中で、何度かしている失敗ではあるんですけど、無意識にマジョリティー側の意識を押し付けているんだと自覚しましたね。/そういうつもりは無かったのに、同化主義的な考えだったんだなって。」と答えています。

ちなみに京セラ美に展示されていた橋を実際に歩いてみると分かるのですが、橋が完全に塀を覆っているのではなく、最上部のテロップに塀の上部が飛び出ているのが分かります。このことは、その時は気づかなかったのですが後から考えると極めてシンボリックだなと思いました。つまり、「橋が塀を越える」のではなく、橋によって「人が塀を越える」ということを示唆しているのです。

田中作品も灰原作品も、異なる背景の人びとが共に生きるとはどういうことか。少なくとも、「みんな仲良く」なんて生易しいものではないし、僕たちは容易に相手を傷つけ得る。けれどもそれでも言葉を重ねて、耳を傾け合わないと前に進まない。正しい者と悪い者を設定して終わる話ではなく、かように悩ましい問題だからこそ、「「ひょい」っていとも簡単に行ってしまうその行為が想起させるふり幅に、すごく驚いたし、すごい魅力を感じ」たのだと思います(灰原)。これはまさにアートだなと思いました。

どうすれば、共に生きようとできるか

ところで、忍びないことに一度しか集まりには参加できていないのですが、僕はLGBTQ+のコミュニティに「アライ(賛同者・支援者)」として加わっています。そのたった一度の集まりの時も、僕は正直怖かった。何を話せば「地雷を踏む」のかが分からなかったからです。でも僕は、自分の知らない世界を知りたいし、いろんな人とつながりたい。だからこそ本当は、人間が本来的に可傷的であり、また潜在的な加害者性を持っていることから逃げてはだめなんだなと思いました。上映後のトークでも、分かるようになるには、そしてつながるには、信頼関係の積み重ねであり、「時間がかかるもの」だと、スピーカーの皆さんは口をそろえていた。そうだと思うし、それでしかないのだなと思いながら、昨日は岐路につきました。

最後に、僕は2018年7月に京北地域に移住した時、ある地元の方から唐突に、「あそこはあんま行かんときや」と言われた場所があります。それは〈丹波マンガン記念館〉(弓削地区)という施設で、戦前・戦中・戦後と良質なマンガンが採掘されたことから、特に軍事物資の材料として、都市部に供給されていた鉱山が閉山後に設立された史料館です。当時そこの労働者の多くはアジア、朝鮮半島からいわゆる強制連行により就労していたと言われています。強制連行があったかどうかで争いが終わらないのはいわゆる慰安婦問題と軌を一にしているところですが、いずれにしても就労環境は極めて劣悪だったことは紛れもない史実です。マンガンの採掘には「発破」が必要で、坑道内では安全な避難の仕方が必須でした。しかし日本語しか話せない親方は、朝鮮人労働者たちに的確に指示を出すことができず、多くの方が亡くなったと聞きます。それ以外にも、発破の際に生じる粉末を肺に吸い込むことで起こる「塵肺」への補償をめぐるトラブルも、いまだに地元に禍根を残しています。この記念館は、そうした暗い歴史を忘却させまいと建てられた「メモリー」でした。

「あんま行かんときや」といわれ、その後何人かの地元の方に詳しく話を聞こうとしても「あまりよく知らないんよねぇ」と言葉を濁される、美しい里山:京北には不都合な存在だと言わんばかりの扱いに、僕は長らくくすぶりを感じてきました。もっとも「あまり行かんときや」の二日後には訪問した僕ですが(あとで「え?行ったの?と言われた」)、実際に見学してみたところ、まず驚くのは鉱山の保存レベルの高さです。逆に言えば少し危険なくらいに、当時のままで保存されていました(ちなみに入ってすぐコウモリに襲われました)。順路通りに辿り、最後にはかつての資料が展示されたスペースに行き着きます。当時の労働環境を証する史料や手紙の数々、解釈以前の事実がそこにはありました。けれども聞くところによると、地元の人びとはあまりこの施設には訪れないと言います(記念館運営をめぐっても、地元といくつかトラブルが起こっているのが原因だと思われます)。

とは言え、その記念館の方々と何か取り組みをしたことはなく、ご地元の方々とこの施設をつなごうとしたこともありません。僕もまた結局、せっかく足を運んだにもかかわらず今日まで傍観者でした。市役所としての立場もあり積極的にかかわることもできない。本来それは変な話なのですが、おそらくそれも僕の言い訳で、僕とて結局「塀」を超えようとすることができなかった。だからここまで書いてきたことは、僕自身の振る舞いを問い直すためのものでもあると感じています。

本当はこの流れで「社会包摂型アート」についても書きたかったのですが、少々長くなりましたので、それはまた改めて。「渡れるかもしれない橋」「突然、目の前がひらけて」に関するインタビュー記事、とても良いので皆さん是非読んでください。

【70 seeds】インタビュー記事
対話とアートが壁を超える:武蔵美×朝鮮大のインスタレーション)

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