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1月28日

先日、やっと父の納骨が終わった。
子供としての役目を果たせたのかはわからないが、肩の荷が下りてほっとしている。

めちゃめちゃな人で家族は迷惑かけられっぱなしだったが、母が笑って送り出せたのだから、まあそれでよしとしよう。
とにかく気性の荒い人で母とはよく喧嘩をしていた。
子供の頃、父と歩いてる時に高校生ぐらいの子がエアガンで撃ったBB弾が僕の顔に命中したことがあった。
父が撃った相手を見つけ「待てコラー!」と追いかける姿を見て、撃たれた僕が『逃げろ』と思ったぐらい喧嘩っ早い人だった。

本当に子供っぽい人で、僕が少年野球を始めた頃キャッチボールの相手をしてくれたのだが、父がピッチャーで僕がキャッチャーとなり、ずっと相手をさせられたことがあった。
普通こういう時って子供にピッチャーやらせないかね。

僕がアメリカに行きたいと、初めてパスポートを取ったのが16歳の時だった。
戸籍謄本を取り寄せて眺めていると、父に離婚歴があるのをその時初めて知った。
僕は父に「離婚してたの?」と聞くと、父は「…バレたか」とテヘッみたいな顔をしたのをよく覚えてる。

気性が荒くて、子供っぽくて、お調子者の父だったが、いなくなると母は寂しそうだ。
実家に帰ると父の話しかしない。まあ、全部文句なのだが。

そんな父だが、死ぬ前に検体を希望した。
自分の遺体を研究などに使ってもらうやつだ。
生きてる時にいいことなんて一つもしなかったから、その報いかどうかは知らないが、検体だと死んでから遺骨になって戻って来るのに一年ほどかかる。
だから父が死んでから葬式もなく、火葬もなく、一年後にひょこっと遺骨だけ帰って来た時、なんとも父らしいなと思ってしまった。

素敵なエピソードの一つでも書きたいが、本当に一つもない。
文句を書くと止まらなくなるし、しかし故人を悪く言うのも後味が悪い。

「ろくでもないあなたを見捨てず、なんならあなたが死んで一番寂しがってるいい奥さんをもらったんだから、あなたは女を見る目はあったんだね」
とだけ父に言いたい。

それでは、さようなら。

ダブルピースなんかしちゃって。

サポートありがとうございます。完全にあなたの味方です。