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「苦」とは思い通りにならないこと

わたしは、無宗教だし、新興宗教にもまったく興味がない。今後、どこかの宗教に入信することもないだろう。

しかし、仏教徒でもないのに、お釈迦様がどんな人間だったのか興味がある。

お釈迦様の教えについては、専門書を読めば詳しく分かるが、その教えの本質とは何か?

その本質とは、「この世は苦であふれている」ということ。
そして、その「苦」を作り出してしるのは自分であるということだ。

お釈迦様は人間の「苦」を8つに分けて表した。

これを「四苦八苦(しくはっく)」と言う。

1.生:生まれてくる苦しみ
2.老:年を取る苦しみ
3.病:病気になってしまう苦しみ
4.死:死ぬ日が来る苦しみ

5.愛別離苦(あいべつりく):愛する人と別れる苦しみ
6.怨憎会苦(おんぞうえく):恨み憎む人に会わなければならない苦しみ
7.求不得苦(ぐふとくく):求めることが得られない苦しみ
8.五蘊盛苦(ごうんじょうく):五感から入ってくる苦しみ

「苦」の本質は、自分の思い通りにならないこと。思う通りにしたいけれど、思う通りにいかないから苦しむ。

人間が持つ悩みの本質は「苦」だ。

それが、人間の「煩悩(ぼんのう)」というものだ。

人生は、自分が思うように上手く行かないことの方が多い。苦しみは、生きることとセットになっている。

しかし、「苦」があるから「楽」を感じ、「楽」があるから「苦」を感じる。

どちらも表裏一体。
表がなければ裏も存在しない。

「思い」を持たなければ「苦」は「苦」として存在しなくなるが、人間にはそれはなかなか難しいことだ。

思いを完全に無くすことは、希望の無い人生を生きろということに等しい。

大事なことは、思いに執着しないことだろう。

執着とは、ある物・事に強くひかれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと。

「苦」は選択自由だ。選ぶのは自分次第。
「苦」が、深い思いになる前に手放す。

人間の心の視点をカメラのズームレンズに例えるなら、人はすぐに、物事に対してズームインする。

その状況の中で、なかなか自分を広角側のレンズで見ることが出来ない。
引きで見ることが出来ないのだ。
自分を俯瞰(ふかん)で見ることが出来ない。

若い頃には特にそれができない。
わたしも今は少しはましになったと思っているが、なかなか難しい。

自分の人生のテーマかもしれない。

空の上から自分を見れたら、もっと冷静にその場の状況を見れるだろうと思う。

自分にとっての損得が見えて来るだろう。
その場は損に見えることが、実は得となって帰って来ることがある。

「負けて勝つ」「損して得を取る」ということだ。「戦わずして勝つ」は、孫子の兵法だ。

「習慣が人生を変える」と言われるが、自分を俯瞰で見る習慣が身につけば、「苦」に執着しない楽な人生をつかめるかもしれない。

老いや病を人生の糧(かて)とする人もいる。
この病気と闘った自分がいたから、今の自分があると言う人がいる。この病気になったおかげで強くなれたと病気に感謝する人さえいることを知ると、「苦」というものの本質とは一体何なのか、強く考えさせられてしまう。




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