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一人称では嗅覚、聴覚、触覚などフル活用で…目に見えるだけが世界じゃない【瀬川の執筆メモ①】

 こんにちは。瀬川雅峰です。
『辰巳センセイ』の書籍化作業を日々進めてます。

 先日知人からのオススメもあってnoteを始めてみたんですが、さて、自己紹介のあとは何を書こうかと……まずは小説を書いているときに考えているよしなしごと、なんてのもいいかなと思って書いてみました。
 子供の頃から本好き執筆好きで、記者から国語教師という経歴なので、読んだ&書いた&添削した文の量……については、相当なものがあります。

 第一回のテーマは「一人称」。大層な創作論ではありませんが、一部でも参考になった、という人がいれば嬉しいです。


序 一人称って楽しいと気付く


 最近、一人称で小説を書くことが増えた。
 ずーっと昔、学生時代に長編を書いたときは三人称だった。当時は一人称で長編などとてもとても書けないと思っていた。なんせ、主人公の知らないことは描写できない。ムズすぎ!

 ところが、歳をとってまた本格的に書き出してみると、一人称って楽しいと感じるようになった。自分のテクニックの幅が増えた分、一人称の制約が苦痛に感じなくなったのが大きい。
 今は一人称で、物語世界にVRのように入り込んで、そこにいて、五感で感じながら描写している。

 主人公が知らないことを書かなきゃいけないときは、他キャラからの証言を利用するなり、文章で書かれたものを読ませるなり……一工夫必要だけど、主人公が「認知したこと」だけで書くのは、書き手の自分にとっても没入感が大きく高まるのは発見だった。

 主人公になってドラマに入り込むワクワク感こそ一人称の醍醐味
 その気持ちよさをより引き出すため、おっさんが心がけていることを挙げてみる。


1 五感+語りを活用するのが楽しい

 「小説家になろう」などで作品を読むとき、ときおり出会うタイプに「●●が○○した」というシンプルな状況説明と、擬音と、セリフ……それらの連続で書いている作品がある。
 テンポはとても良いのだけど、ずーっとその調子で続いたり、描写があまりに少ないと、私は「せっかくの一人称なのにぃ」と思ってしまう。ちょっと語弊があるかも知れないけど……なんというか、ト書きのある舞台脚本をそのまま読まされているというか。

 そんなとき思うのが、この作者さん、作品世界にちゃんとダイブしてるのかな?と。人間には五感がある。最低限の視覚、聴覚だけでストーリーをひたすら追わなくても、嗅覚、味覚、触覚……と多様なセンサーがあるわけだ。おまけに一人称は心の声だって書けるのだから、事実の羅列で終わらせるのはもったいない。見た聞いた嗅いだ味わった触った考えた……一人称ならうまく組み合わせて地の文を書きたい

 世界を丁寧に想像して、感じられることを増やして、そこから厳選した表現を使いたい、と思う。

 日差しのまぶしさ、木立で葉が擦れ合う音、砂ぼこりをはらんだ風、血の臭いが混ざった空気、遠くの景色を揺らす陽炎……ただ全てを描写したら当然無駄にクドい。
 なので、大切なのは「今この場の空気、主人公の心境を読者に共有してもらうには、どの描写を、どう拾うのがベストだろう?」と自分に問うことじゃないかと。
 多くダラダラ書くのではなく「これ!」というナイスな表現で読者の想像力を引き出したい

 ダンジョンに入ったとき、いきなり「通路を進み、一つ目の小部屋に着いた」でもストーリーは通じる。
 でも「かび臭さの中に、かすかにすえた臭いが漂ってきた」とか「じめっとした空気の中、乾かない汗で鎧が肌に貼り付く感触」や「硬質な壁の石材のひんやりした手触り」や「真っ黒な、虚無のように見える入り口」や「身体の奥から冷えるような恐怖で、足が前になかなか出ない」……いろいろ感じられるわけで。
 パーティーの犬族が血の臭いを感知した隣で、ウサギ族が「複数の足音がある。遠くないよ」と耳打ちしてくれる、なんて書けば、キャラ能力の説明だって兼ねられるよね。


2 カメラの運用はドラマや映画に学ぶ

 一人称では、カメラの位置設定が大切と思ってる。もう映画のカメラマンになったつもりで、今、見せたい絵を想像上のドラマから切り出す感じで書いてる。

 ヒロインと話す場面では、彼女の動作を丁寧に。アイドルビデオの距離と言うかな……顔色が変わったり、セリフをどぎまぎして言い間違えたり、頻繁なまばたきで涙を堪えたり、哀れみの視線を向けてきたり……基本1メートルの位置にカメラを置く。
(スキンシップはさらに近く、30センチ。ヒロインのうぶ毛や汗の匂い、触れて感じる体温などを描写する)

 1対1の格闘バトルなら、実戦の間合い……2メートルの位置から見る。相手の息づかい、目線、体勢や筋肉の形、にじって距離を詰める爪先、自分との位置関係、といったあれこれを描いて、自分が戦っているかのような臨場感を狙う。
 そしてあくまでも自分側からのカメラなので、相手の背中の入れ墨や、背中に隠している武器の描写はしない。いきなり神様カメラにしてしまうと緊張感を消してしまう。

 そして複数キャラで賑わっている場面や、新しい国に着いた、といった場面では、カメラも引き気味にしてわかりやすさを重視する。遠くまで見渡してキョロキョロする観光客のカメラのイメージかなと。

 ドラマを書き進めていて『誰がどうした』ばかりで描写が薄くなっているなぁ、と感じたときは、こうした基本になるカメラ位置に視点を置いて、目にはいったもの、耳に聞こえたもの、かいだ臭い、といったものを書き足すようにしている。出来の良いドラマや映画は視聴者の感情移入を促進するために計算されたカメラワークをしているので、とても参考になる。


3 見えない、聞こえない、知り得ないはNG

 一人称を使う際「主人公の認識不可能なもの」をいかに書かないか、に注意をはらっている。読み手でこれをされると、人にもよると思いますが、おっさんはむむむーーーっとなって、そこで読むのをやめてしまうこともしばしば。

 正直これは本気で没入しながら書いていれば、あんまり起きないミスじゃないか、とも思うのだけど……どうもなろう系小説の「お約束」展開と相性が悪いというか、視点をあまり考慮せず、お約束だから……と書いてしまっている書き手さんがいるようで。

 いくつか例を挙げてみる。

 ×主人公が意識を失ったあと、周囲の会話を描写してしまう。
 ×「手強いやつだったな」「さ、王のところへ連行するぞ」
 ○「後で味方に聞いたところによると、俺はさっさと担がれて連れ去られたらしい」


 ×ヒロインのデレ台詞をはっきり書いておきながら主人公が「よく聞こえなかった……彼女の態度が解せぬ」などとイキナリ聴力低下する。
 ○台詞をはっきり書いたなら、よく聞こえなかった、はナシ。
 

 ×主人公の俺ツエーに、離れたところにいるキャラが「すげぇ」と感想をつぶやく
 ○大声で叫んだならok。離れているなら唖然とした表情まで。あとで酒場で褒めてもらおう。


 דまだ彼は本当の敵を知らなかった”などとメタ的な第三者視点を混ぜてしまう。
 ○そのときの”俺”は、この後に本当の敵と出会うことを知らなかった


 ×主人公の視界外、認識外の描写をする。
 ×「(前方警戒中)後列の魔術師も、武器を抜いて迎撃の構えをとった」
 ○「敵の予感にパーティーがざわつく。後衛を気にして振り返ると、魔術師もすでに武器を抜いていた」


4 視点コロコロは読者にとってストレス

 私も「辰巳センセイ」のクライマックスで、主要2キャラによる、視点変更しながら進める場面を描いた。なので全面的にNGというつもりではないが、説明したいことを主人公視点では書けないから、という消極的な理由での視点変更はしないようにしている。
 視点を動かすことで作劇上の狙いがある場合なら良いと思う。

 そもそも、読者からすれば感情移入相手は基本的に主人公一人であり、その主人公の運命がどうなるか、を知りたくて読んでいる、というところを忘れるのはNG。

 視点がたとえば主人公のライバルに移動した場合、読者に、それまでの主人公と違うキャラに入りこんで読む、というストレスを与える。

 その上、同じ情景をただ説明の必要性から視点違いで繰り返されたりすると、話の進まなさからストレスはさらに大きくなってしまう。

……さて、こんなところでしょうか。
 思いつくままにつらつら書いていたらずいぶん長くなってしまいました(;´Д`)

 お読みいただき、ありがとうございました。
 それでは、また。

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