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法華経とは

法華経も大乗仏教の基本と言われますが、江戸時代の超人富永仲基からは「効能書きしか書いておらず肝心の薬が無い」とか言われ、確かに読んでみても良く分からん記述が長々と続くので、その有難味も正直良く分からない。なので、少々長いですが、まとめてみました。

■法華経が生まれた背景:
・釈尊在世の時代(紀元前4世紀ごろ)の仏教を「原始仏教」と呼びます。
・釈迦入滅後(紀元前3世紀頃)、第2回仏典結集が行われた辺りで、大きく「上座部」と「大衆部」に分裂し(根本分裂)、更に約20ほどの部派に分裂しました(枝末分裂)。この頃を「部派仏教時代」と呼びます。
・その部派仏教時代、上座部の中での最大派閥が「説一切有部」であり、通常「小乗仏教」と批判されているのがこれです。

■法華経の登場
・例えば「菩薩」という呼び名がありますが、これは釈尊の長い修業の途中で現れた「燃燈仏」が釈迦に「貴方は仏陀になるだろう」と予言したことから始まります。(注:こういう仏がいろいろと出てくると、最初は誰だったのかわからなくなるのも仏教がわかりにくい原因のように思います)。菩薩と言うのは、その時から「仏陀(=覚りを得た人)になるまでの期間」の釈尊の呼び名で、説一切有部(小乗と理解ください)が名付けました。つまり「菩薩=覚りが確定した人」です。
・ところが紀元前後に少し変わって来ました。ちょうど大乗仏教が起り始め、般若経、維摩経など説一切有部を批判する経が生まれました。説一切有部では菩薩は釈尊と弥勒ぐらいでしたが、大乗仏教では説一切有部が持つ差別を撤廃し、「悟りも求める人は誰でも菩薩である」という考えを持っていました。
・両方が互いの批判を繰り返す中、説一切有部と大乗仏教を融合しようと目論んだのが法華経でした。
・大乗仏教は説一切有部の内部の改革派から生まれたようです。但、当初は大乗仏教も説一切有部側が言う「声聞」(仏陀の教えを聞いて修行する仏弟子)と「独覚」(仏陀の教えによらず自力で悟りをひらき、静かに孤独を楽しんで、利他のための説法をしない仏弟子)は利他行に欠けるため仏陀にはなれない(二乗不作仏)と意地悪していましたが、法華経はそれを否定し、全員が仏陀になれると平等を説きました。ここに法華経の大きな意味があります。

■釈尊入滅後の仏教の変化
・釈尊入滅後の約500年の変化を少し見てみましょう。 

■法華経のポイント:
法華経は「効能書きしか書いておらず肝心の薬が無い」とも言われるが、それは「どうしたら仏陀になれるのか」という修行の方法がはっきり書かれていないからが原因と思われます。そんな法華経ですが、エッセンスとしては次の4点かなと思われます。①②③を信じ、④を実践するということでしょうか。

①一仏乗:
  仏教 の真の教えはただ一つ。それによってすべての衆生が成仏できる。
②悉皆仏性:
  人間は皆仏性を持っている。但、心から仏になりたいと思う心が必要。
③久遠実成:
  釈迦は常住不変の仏である。釈迦の入滅も方便だった。
④利他救済:
  まず他人を救うこと。

■釈迦十大弟子
釈迦十大弟子はよく登場するので表にしておきます。

釈迦十大弟子

■では、各品(=章)の概要を順番に見ていきましょう。
多くの譬え話が出てきますが、全体の流れを出来る限りコンパクトにするため、譬え話は簡略しています。

(1)序品(第一)
ここから第九までは、各弟子への授記(仏陀になることを予言・保証すること)に関する記述です。

・「如是我聞(私はこう聞きました)。世尊は1200人の阿羅漢とともに霊鷲山におられた」から始まる。
・主な弟子達の名前が続く。膨大な数なので割愛。
・釈尊はまず「偉大な説法」を語り始めると、(何故か)いきなり瞑想に入ってしまった。その後、花が天から降り、地震が起こり、参加一同は驚嘆し、最後に釈尊の眉間から光が放たれ東方の仏陀の国土を照らした。
・それを見ていた弥勒菩薩が文殊菩薩(多くの仏陀の元で修行をしてきた)にこの意味を問うと、「かつて法華経を説いた日月燈明如来という同じ名前を持つ2万人の仏たちは、このような瑞相(めでたいことが起る前兆)を見せた後に法華経を説いたらしい」と、その意味を答えた。

⇒釈尊の瞑想中に弟子たちが、釈尊のために法華経を説くステージを整えたという感じです。

(2)方便品(第二)

・そして釈尊は瞑想から戻り、舎利子に語られた。
・「小乗仏教の声聞・独覚には仏陀の知恵は理解できない」と語る。(いきなり小乗的差別から始まる?)
・如来(=釈尊)は「衆生(=命ある者:仏教は人・動物を区別しない)に自分の知見を『開き』『示し』『覚らせ』『入らせる』為にこの世にやってきた」と語る。「それは1つの乗り物(=仏陀に至る道)についての法であって、第二第三の乗り物があるわけではない(=一仏乗)」
・実は三乗(声聞・独覚・菩薩)なんてのは方便(便宜的な手段)に過ぎない。乗り物はホントは1つしかない。

⇒つまり「三乗なんてありません。皆平等ですよ」ということ。いきなり「差別」から始めたのは、「頭が小乗で固まっている人には理解できないでしょうが...」という意味でした。

(3)譬喩品(第三)

・「そうだったのか」と驚く舎利子に対して、釈尊は「あなたは自分が菩薩であったことを忘れているだけです」と告げた。
・そして、この菩薩の為の教え(=法華経)を声聞にも教えるように語り、舎利子へ授記を与えた。
・しかし、ここで釈尊の言葉を理解できたのは舎利子だけだったので、舎利子は釈尊に「他の者たちが理解できるように説いてもらえませんか」と頼んだ。
・そこで釈尊は「三者火宅の譬え」を説いた。これは相手が納得しないまま強引に引っ張りだすのではなく、自分たちが理解し納得し、自分たちの意志で出てくることの重要性を説いている。

⇒その為に釈尊は人々の性格・好み・望みに応じた教えを用意されたということ。ある意味これも「方便」です。

(4)信解品(第四)

・前品での説明に対して、須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、大目犍連(四大声聞)が理解を確認する為に譬え話「長者窮子の譬え」を語る。それは、衆生を救おうとした釈尊が、教えを説こうとされたが、衆生側が受け入れられる状態にない場合は、衆生のレベルに応じた教えから始め、衆生を成長させ、本当のことを受け入れられる段階に至って初めて真実の教えが説かれたという話。
・四大声聞(声聞なので小乗仏教徒)たちは自分たちがすでに涅槃に達してと思い込み、それで満足していた。大乗仏教のことも聞き及んでいたが、(利他的な世界は)自分とは関係ない世界だと思っていたと反省する。

⇒「覚る」とは真に自己に目覚め(他人の評価ではなく自己の評価)ることであるが、真の声聞は教えを説き相手を目覚めさせる人である。四大声聞は真の声聞になる決意を見せる。

(5)薬草喩品(第五)

・「長者窮子の譬え」を聞いた釈尊は「その通りだ」と言い、「三草二木の譬え」を語る。それは、植物は同じ大地に同じ水が流れ込むところで成長しているが、植物自体は千差万別であるということ。

⇒仏弟子も声聞、独覚、菩薩とあるが同じ大地、同じ水で育つものとして平等であるとの考えを示したもの。

(6)授記品(第六)

・ここで四大声聞への授記が行われた。四大声聞の各人に「いつ」「どこで」「どういう仏陀になるのか」を語っていった。

(7)化城喩品(第七)

・次に釈尊は自身と衆生との関係(因縁)を語る。
・昔、大通智勝仏という王に16人の兄弟がいた。それぞれが様々な場所で仏陀となり、人々を導いていた。釈尊はその末子で、この娑婆世界にいて衆生を教化している。それ以来、衆生も同じように何度も輪廻転生して、釈尊から法について聞いているはず(=一緒に修行してきた)だと語る。(因みに阿弥陀仏は9番目らしい)
・そして釈尊はこれまでの教えをどう行ってきたかについて「化城宝処の譬え」で語る。それは、厳しい修業にあきらめかける衆生に蜃気楼の偽のゴールを見せ、休ませながら歩き続けさせてゴールへ導かせるという話。蜃気楼は「方便(ここでは三乗)」であり、本物のゴールは「一仏乗」という意味。

(8)五百弟子受記品(第八)

・舎利弗や四大声聞に続いて、まずは富楼那に対する授記が行われる。富楼那を説法第一と紹介し、彼は四衆(※)をうまく教化していると絶賛。「富楼那は声聞のフリをして菩薩の仕事をしていた。」とも。
・次いで1,200人と更に500人の声聞たちにも授記を行った。
・その後声聞たちは自分の理解を「衣裏珠の譬え」で語る。これは、ずっと気づかなかった自らの価値(仏性が備わっていること)に、他人から指摘されて気づき歓喜する話。

⇒つまり、執着の心を捨て去り、お釈迦さまの教えを素直に受入れられるようになった心境、即ち「自分も仏陀となりたい」という思いが内心から湧き上がってくる心情、この心情が仏陀となるための条件である「信」であり、その心情を持つ弟子に対して釈尊は応えるのであった。

※四衆:仏陀の教えに帰依した人々。比丘(男性出家者)、比丘尼(女性出家者)、優婆塞(在家男性信者)、優婆夷(在家女性信者)の4グループ

(9)授学無学(※)人記品(第九)

・ここにきて、阿難や羅睺羅たちにも内発的に仏陀になりたい気持ちが湧いてきた。
・そして阿難への授記が行われる。釈尊は仏陀の教えを実践・修行したが、阿難は仏陀の教えを記憶し、人に伝えることに専心したと称える。
・そして羅睺羅やその他2千人に授記され、これで声聞への授記が終了する。
※無学:学ぶことがもうなくなった(小乗仏教の)修行完成者

(10)法師品(第十)

⇒ここからは法華経を誰が広めていくかという弘教の話になります。

・弘教の担い手(法師)としての菩薩について詳述される。法師とは行いが良い男女が、衆生の幸福の為に人間世界に再度生まれてきた仏陀の使者であると。つまり、将来に仏陀として生まれてくる予言を蹴り、人間として生まれてきて利他行を行うことの重要性を示している。小乗仏教のように立派な僧院に引きこもり自利的な修行に明け暮れるだけではいけないという意味。
・また経典の重要性について語る。釈尊の心は遺骨にはない。経典にこそ存在するので、卒塔婆を拝むのではなく、経典を安置する場所を作りなさいと言う。
・法華経の弘教は難しい。仏陀の室に入り、仏陀の衣を着て、仏陀の座に座って説き示すべき。(衣座室の三軌)

(11)見宝塔品(第十一)

・その時、大地の底から大きな宝塔が出現し、中から釈尊の教えのすばらしさを称える声が聞こえてきます。(注:これがあまりにも唐突ですが(^^;))
・釈尊は空中に浮上し、塔の扉を開けようするが、十方にいる釈尊の分身を全員集合させなければならないらしい。

⇒あらゆる仏陀を釈尊1人に統合させようということ。

・そして塔を開けると、そこには全身がそろっている多宝如来がいました。多宝如来と釈尊は並んで座る。そこへ来たがっている弟子たちは空中に浮かせました。
・そこで釈尊は弘教の困難さを語る(六難九易)

⇒法華経の弘教の困難さを語っている。

(11-2)提婆達多品(第十二)ーこの話は後の挿入と思われる。

・提婆達多は釈尊の従弟であるが、教団を分裂させた張本人とされる。その後小乗仏教で彼は極悪人扱いされる。ところが、本品では仙人の姿で登場。かつては釈尊に法華経を教え、釈尊が使えた相手だったと紹介され、実は悪人ではなく仙人であったと説かれる。そして提婆達多にも授記が行われる。
・次に海中で法華経を説いていた文殊菩薩が戻って来た時、智積菩薩が「理解する人はいたのか?」と文殊菩薩に問うたところ、龍の8歳の娘(龍女)だが、知恵を持ち、知に基づいた身口意を持つものがいたことを語る。智積菩薩が「ホンマに?」とちょっと疑うコメントをすると、その龍女が現れて反論を始めた。しかし舎利子は「女には無理だ」と否定するのですが、龍女は最後には男に変身し成仏した姿を示した。それを見た智積菩薩も舎利子も反論が出来ず黙ってしまった。

⇒悪人でも女性(注:男の姿になる点がスッキリしないが)でも仏陀なれる例を紹介

(12)勧持品(第十三)

ここでは多くの人々が弘教について宣言します。
・まずは薬王菩薩と大楽説菩薩ら2百万人の菩薩が名乗りを上げる。次に学修の500人の僧、そして8千人の有学・無学の僧が手を挙げた。
・その時2人の女性が突然立ちあがり、我々はまだ授記を受けていないと言う。1人は釈尊の叔母であり、もう1人は釈尊の出家前の妻であった。そしてこのタイミングで改めて授記を行った。
・菩薩たちは弘教の困難さを語る。様々な妨害・ハラスメントを受ける実態を語っているが、最後にはそれらに耐えて頑張るという宣言を行う。

(13)安楽行品(第十四)

⇒安楽地に行くための行と言う意味で、法華経信奉者の心構えを述べています。

・法華経を説く場合は、四安楽行で行うこと。それは、
①身安楽行:行動・交際範囲の心得厳守
②口安楽行:他人を非難しない
③意安楽行:嫉妬しない、依怙贔屓をしない
④誓願安楽行:他人を信仰に導く

・そして「髻中明珠の譬え」を語られた。それは、ある王が兵とともに敵を討伐しました。その労に報いるため、王さまは兵たちに褒美を与えますが、金銀財宝や町を丸ごと戴いた者もいました。しかし、王さまは頭の上で束ねていた髮に収めていた宝珠だけは与えませんでした。ある時、魔物と戦い大きな手柄を挙げた兵たちをみて、王さまは歓び、髮の中に収めていた宝珠をついに取り出し与えるのです。王様は仏陀で、宝珠は法華経のことです。

(14)従地湧出品(第十五)

・冒頭、他国からやってきた数多くの菩薩たちがこの娑婆世界での弘教に手を挙げた。しかし、釈尊は「この娑婆にはもう既にその勤めを担うものたちがいるのだ」とそれを断った。すると大地が裂け、膨大な数(数千万億)の菩薩が現れた(地涌の菩薩)。彼らは金色の身体を持ち、偉大な人物が備える32の吉相を持っていた。(注:これもびっくりすが、仏教には時間的空間的な制約が全くない)
・彼らは釈尊がこの世で悟りを得てから教導した者たちとのこと。弥勒菩薩は釈尊がどうやってこれほどの数の菩薩を教導できたのか、ふと疑問に思った。

(15)如来寿量品(第十六)

・釈尊は弥勒菩薩の疑問に対して「実は私は覚りを得てから、大変長い時間(五百塵点久遠劫)が経っているのだ」と明かした。(久遠実成)(注:しかし仏教では有限時間ではあるらしい)
・また、実はその間に私が教導した燃燈仏などの如来たちも、私が方便で作り出した者(要はアバターのようなもの)であった。それぞれの国土でそれぞれのやり方で弘教させるのである。

⇒いろいろな仏陀がいていろいろな名を名乗っているが、実は全て釈尊のアバターである。結局、誰が誰だかよくわからない ┐(^^;)┌

・如来は遥か昔に覚りをひらき、量れないほどの寿命を持ち、常にこの世に存在している。如来自身は完全に入滅した訳ではなく、衆生を教導することを願いつつ入滅を示しているに過ぎないとか。
・釈尊はまだ菩薩としての修業を完了していないし寿命も満たされていない。なので完全に入滅することはないのに入滅するだろうと告げている。
・では釈尊は死んだのか?いや、涅槃ですら方便である。私にいつでも会えるわけではないことを示す為に涅槃に入って見せただけ。それで仏舎利を供養させることで、人の心に仏陀を敬う心が生じ、その時に釈尊は再び現れますと。
・それを示す為に「良医病子の譬え」を説明。それは、ある医師の子たちが親の留守中に毒を誤飲し、父親が解毒剤を調合して与えたものの、一部の症状の激しい子が心まで動転し薬を飲まないので、父親は薬を残して旅に出て旅先で死んだことにして、その父にはもう会えないというショックで正気を取り戻させて薬を飲ませたという話。

(16)分別功徳品(第十七)

・如来の寿命の長さと言っても、その長さそのものが重要なのではなく、釈尊は長い期間菩薩修行と並行して教導を行っていることが重要と説く。

(17)随喜功徳品(第十八)

・法華経を受け入れて、心から有難い思い(随喜)、他の人に語ることで功徳がある。これが信仰の根本である。
・「五十展転の功徳」の話で語られる。それは随喜した人が順番に語り伝えて、例え50人目になってもその功徳は変わらないという意味。

(18)法師功徳品(第十九)

・「六根(眼耳鼻舌身意の6感の感覚器)清浄」とは六根が清らかであるという意味で、法華経を受持・読誦・教示・書写することのご利益と説かれている。

(19)常不軽菩薩品(第二十)<法華経の実践モデル>

・歴史上最古の仏陀である威音王仏という如来の死後、正しい教えが失われつつある時代で、増上慢(覚りをまだ得ていないのに得たと勘違いしている比丘)たちが教えを攻撃してる時代。釈尊の教えが、まさに形骸化しようとしていた時代ともいえる。そんな時代に出現したのが常不軽菩薩で、彼は菩薩であるにもかかわらず教えを説くわけでもなく、女性も含む会う人会う人に「私はあなた方を軽んじません。あなた方は軽んじられることはありません。菩薩としての修業をしなさい。あなた方は尊敬される如来となることでしょう」と言い続けます。
・カーストも問わず経典読誦をしなかったこともあり、「何だコイツは」みたいな目で見られていたし、危害を加えられることもあったようだ。しかし常不軽菩薩は誰に対しても怒りをもつこともなかった。
・実は常不軽菩薩は死の間際まで法華経を知らなかった。死の間際に天から聞こえる法華経を耳にして素直に受け止めることで六根清浄を得て、「まだ死んでる場合ではない」と思い寿命を延ばし法華経を説くようななったらしい。

⇒法華経の救済は、人間対人間の具体的な関係性を通じた対話によるもの。その結果、真の自己に目覚めること。誠意を尽くすことで、相互理解を高め、両者が何かの目覚めることが期待されている。「衣(忍耐の鎧)、座(空の座)、室(慈悲の部屋)」に則ること。
部派仏教の信者のように僧院に立てこもり終日経典を読み続けなくても、常不軽菩薩のように行いが法華経の理想にかなっていれば、耳にするだけで体得できる。

(20)如来神力品(第二十一)

・釈尊はまず地涌菩薩に広教を付嘱した。文殊菩薩も手を挙げたがそれには答えなかった。
・「場所はどこであれ、読誦・解説・書写・考察されるような場所には、如来の為のチャイティヤ(塔廟)が作られるべきである」と地涌菩薩の4人のリーダー(上行、無辺行、浄行、安立行)に説いた。

⇒「釈尊ゆかりの地」ではなく「法華経実践の地」が重要である。

※以下の(21)~(26)は本来の原始仏教や法華経で否定されていた内容なので、後日、広教の為に妥協的に追加された方便と理解される。

(21)薬王菩薩本事品(第二十三)

・薬王菩薩は過去に自分の身体を生きたまま焼いたりし、それが最高の供養であるかの記述があるが、焼身自殺は仏教的には否定される。

(22)妙音菩薩品(第二十四)

・妙音菩薩が別の国から娑婆世界の釈尊に会いに行くに際して、その国の如来から、娑婆の釈尊や菩薩たちは背が低くとも劣っているの見なさないように注意を受ける。

(23)観世音菩薩普門品(第二十五)

・観世音菩薩の名前を呼ぶだけでご利益があることを説く。例えば「火事に遭っても火傷しない」「死刑執行人の刀が折れる」「男の子を望めば男の子が生まれる」など。

(24)陀羅尼(=呪術)品(第二十六)

・原始仏教では本来呪術(神仏に頼んで言うことを聞いてもらうこと)を禁止していたが、広教の為の方便として民間信仰を妥協的に取り入れた。

(25)妙荘厳王本事品(第二十七)

・熱心なバラモン教徒の父王を、兄弟が「舎衛城神変」(釈尊がバラモン教徒を消えさせるのに用いた奇跡)と同じ奇跡を見せて、父王を仏弟子にさせた。

(26)普賢菩薩勧発品(第二十八)

・華厳経で重視される普賢菩薩が登場。釈尊に「釈尊の入滅後にが、どうすれば法華経を得られるのか」を尋ねる。釈尊はそこで「四法」を説く。
①仏陀に守られているという信念
②善行を積み、徳を育てる
③正しい仲間と付き合う
④自ら多くの人を救う心を持つ

(27)嘱累品(第二十二)

・地涌菩薩以外のすべての菩薩に弘教の付嘱が行われる
・ここで釈尊は宝塔から霊鷲山へ戻られる。

以上です。お疲れさまでした。