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『アイリッシュマン』を観た。

スコセッシの映画の中では、構造的には『グッドフェローズ』に近い。バイオレンスと往年の名曲のミクスチャー。監督演者、共に老境に差し掛かったこともあるのかさすがにバイオレンス成分は薄めだが、そこは破格の名優揃い。通底する、ピンと張りつめた緊張感は他に類を見ない。

時間軸の扱いが結構面白く、「今」をベースに「過去」を振り返りつつ、平行して展開される「デトロイトへの旅」という本線において、「過去」がいつしかその旅へと追いつき、そのまま「今」へと収斂されてゆく。手の込んだ脚本だなあと思った。3時間半の長丁場、途中でいったん離脱する気満々だったが、構成の妙味で最後まで魅せられた。

ただ、ジミー・ホッファのこと、ケネディ家とマフィアの癒着、キューバ危機、JFK暗殺、ニクソン大統領誕生、ウォーターゲート事件などなど、60年代以降のアメリカの歴史をいったんしっかりさらってから観るべきだった。ギャングの視点から見るアメリカ史、という意味でも見る価値があるからだ。

話題の、名優たちをCGによって若返らせる点については、力技でやり切ってはいるものの、フィジカルついてはたぶん今現在の俳優の動きのため、どうしても殴る蹴るがお爺ちゃんの動きで、だからバイオレンス成分は薄めなのだろうが、違和感はあった。とはいえ、登場人物の過去すべてて違う若手俳優を使うと誰が誰だか分からなくなるだろうな…とも思った(登場人物が多いので)。

『グッドフェローズ』は、主人公が身内のマフィアを裏切って司法取引するところで物語が終わる。『アイリッシュマン』は、関係者一同投獄され、ある人は死に、ある人は出所後も生きる姿が描かれる。映画という供給スタイルでは、時間的制約によってここまでの「終わり」は描けなかっただろうと思う。その意味でも、新しいスコセッシのギャング映画を観られた、という感慨がある。

ラスト付近、自身で終活を営むデ・ニーロが、看護師の女性にこう語る。

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この一言を、名優であり盟友であるデ・ニーロに語らせるために、スコセッシはこの作品を撮りたかったのではないか。そう思った。

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