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『点描の唄』が彩った点描

娘の通っている中高一貫校の文化祭には、部活の発表やクラスの出し物とは別に、好きな仲間と自由にユニットを組み、ダンスなどのパフォーマンスを観客に発表できる、文字通り“有志”というイベントがある。

ステージに立てるのは、といってもそれは大きめの教室なのだけれど、熾烈なオーディションをくぐり抜けたパフォーマーのみ。

娘はダンス部に所属していて、もちろんそれら部活の発表会も感涙モノだったのだが、例えばダンス部の踊りは、先生や先輩の指導が入り、コンテストなども絡むいわば教育の一環としての踊り、という側面も強い。

だが、“有志”は違う。

選曲、振り付け含め、完全なる趣味の世界なのである。つまり主体性がピュアな分、“有志”の発表はまた格別なのだ。

漫画「昴」によれば、人類と地球外知的生命体とのファーストコンタクトの際、媒介として招聘されるのはバレエダンサーだと言うことらしい。踊りという躍動は、技能であり表現であり主張であり、そしてエネルギーなのだと思う。そして娘は、昨年に続き、今年も“有志”のオーディションに合格した。

いや、バカ親が娘の話をしたいのではない。
どちらかというと、名も知らぬ娘の「後輩」の話を書きたい。

娘が友達二人と組んだ三人組ユニット、その名も「生ハムメンタル」の”有志”における出番は、プログラムによると三組目。さて、その一つ手前の二組目の演目に目を向けると、ユニット名もなく、ただ『点描の唄』と記されている。
おや……。

そもそもこの“有志”は、コピー、オリジナル含め踊り主体のパフォーマンスをするユニットが多く、歌唱だけで勝負する子を見たことがなかった。なので驚いた。そうか、歌うんだ、と。年甲斐もなく、何故かドキドキし始めた。

五十歳の僕は、『点描の唄』がどんな曲なのか知らなかった。だが、Mrs. GREEN APPLEというバンドのことは知っていた。ウォーキングの際に聴く、息子に作ってもらったプレイリストに何曲か楽曲が入っていたからだ。こりゃ元気のいい曲を作る人達だなあ。これからの時代に、「夏といえば」できっと最初に思い出される、そんなイメージがほとばしるバンドだった。

一組目の発表が終わり、さあチャレンジャー“達”が登場した。袖から現れたのは、高校1年生の女の子がふたり。そうか、デュオなんだ。“有志”の発表では各々、ユニット毎に衣装を合わせてくることが常だが、このふたり組は、至って自然体な恰好だった。普段着。しかも、履いている靴は上履き。なんというイノセントさ。早くその歌声を聞いてみたいという思いが募るものの、これがなかなか始まらない。音響担当(文化祭の運営委員)が手間取っているのだ。どうやら埒があかないようで、先に、娘達「生ハムメンタル」の出番となった。

「生ハムメンタル」は高校2年生。三人ともダンス部なので、後輩も含めると知り合いの観客が一番多く、キャリアも長いので踊りも上手い。パフォーマンスが始まるやいなや、女子高ならではの、想像を絶する黄色い声援が飛びまくる。途中、似つかわしくないおっさんのコール(←僕)も鳴り響いたりもして、それはそれは盛り上がったのだった。

その余韻が会場を覆うなか、そうして再度、『点描の唄』のふたりは登場した。手前でこうも盛り上がられるとやりづらいだろうな、ウチの娘がごめんね……と勝手な罪悪感に浸っていると、ふたりのアナウンスが入る。

「……持ってきたCDが鳴らないようなので、うまくできるか分からないけれどアカペラで歌います」

一瞬耳を疑う。なんという強心臓。というよりも、きっとたくさん練習してきた歌を、諦めきれなかったのだろう。いや、もっとストレートに、目立つ機会を失いたくなかったのかも知れない。会場からはどよめきと拍手が鳴り響く。そうしてその歌、高1女子デュオがアカペラで歌う、『点描の唄』が始まった。

ふたりの歌声に耳を澄ます。初めて聴く曲。美しいハーモニー。ウォーキングのときに聴いたMrs. GREEN APPLEの元気さとは、印象が一変。彼女達のその透明なハーモニーは、透明でまっすぐな分、僕にはイロトリドリの色彩として飛び込んできた。

これは、恋の唄なのだろうか。女の子ふたりで歌っているのに、「私」と「僕」が聴こえてくる。オリジナル曲は男女で歌われているのだろうか。「限りある恋だとしても」「続いて欲しいと願っている」……どんな理由でこの恋は終わろうとしているのだろうか。果たして、歌っているこの子達は、今、恋をしているのだろうか。いや、そんな歌詞世界とは無関係に、この曲を選んだのかも知れない。ここまで歌えるようになるまで、きっと一生懸命練習したのだろうなぁと、親御さんの気持ちにもなり誇らしくもなった。とてもトラブルがあったあととは思えない堂々とした歌声が、それを証明していたからだ。

そして一番の終わりに、「僕はあなたを好いている」という歌詞が聴こえてきて、「好いている」というとても現代的ではない言葉を投げ掛けられて、僕はふと理解した。そうか、「好いている」から彼女達はこの曲を選んだのだ。自分達が圧倒的に「好いている」こと、それを発揮できる喜びを、今、この子達は全身で歌っているのだ、と。

娘は来年大学受験なので、部活はこの文化祭をもって引退する。同様に、“有志”での発表も、今年が最後。それはこれから、できるだけ「好いている」ことに囲まれて生きていくために、「好いている」ことじゃないことにも努力しなければならない時間がやってくる、ということでもある。

歌詞に何度か登場する「時間が止まればいいのに」という強い思いは、それは色んな場面で、誰しもが一度は持ったことがある感情だ。でも、時間が止まらないからこそ人は成長するし、進む時間のなかで、人は多くの「好いている」と出会える。

「生ハムメンタル」が躍動感として見せたまさに最後の“有志”は、後輩の心にきっと届いたはずだ。そして娘達先輩もまた、後輩が歌う『点描の唄』から、自分達が今この瞬間真っただ中にいた、弾ける青春の色彩を受け取った。

それぞれのその思いは、はっきりとした輪郭があるコミュニケーションのもとに取り交わされた感情ではない。けれどくっきりと、それはまるで素敵な点描で描かれた絵のように、この先もみんなの心に飾られ続けるはずだ。

こうして、Mrs.Green Appleの『点描の唄』は、僕にとっても大事な、絵画のような一曲になったのだった。

#いまから推しのアーティスト語らせて
#MrsGREENAPPLE

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