2023年の振り返り
息子氏発熱により年末は看病な日々を過ごす
数日前から息子が熱でダウンして、僕は看病の合間にドラマ『ブラッシュアップライフ』が観れることに気づき観始めました。放送時なんとなく気になってはいたが結局観れずだったので今がチャンスとばかりに。
ドラマの中で、もし時間を戻せたら何を変えるかという考えが頭をぐるぐる回りました。そこで、息子が眠りについた今2023年を振り返るこのブログを書き始めました。
1)生命(いのち)に考えさせられた1年
息子が1月に189日間の入院から退院をして妻と息子と3人での在宅生活がはじまった。育児に加えて、医療的ケアが常にある生活。お医者さんや看護師さんではなく、自分たちで息子へ医療行為をしないといけない。また何かあったら判断をしないといけない。
そして父が3月に交通事故に巻き込まれて突然帰らぬ人になった。生命が始まる神秘さや喜びがある一方で、生命に永遠はなく必ず終りがあること。そしてそれは突然やってくることを突きつけられた。 起きていない未来を憂いてもしょうがないが、今この瞬間にどうやってすごすか、後悔なくすごすか。そして眼の前にいる人が次はもしかしたら会えないかもしれないから大事にしようと思う感覚を得た
2)障がい・医ケア児、育て働く
昨年から育休を取得して、本業は休ませてもらって育児に専念をさせてもらったのが2023年。夏前に復職をしてみたものの、結果的には1ヶ月半でまた育休再取得をすることに。
4時起きで働く時間を工夫したり、先人の知恵を借りて色々と工夫してみたが物理的にサラリーマンしながら、医ケア児を育てるのと家族のケアをするのは無理だと感じた。経済的には苦しくなるが育休を再びとり、生き方を迷っている中で『疾患・障がい児の毎日を楽しく!』を掲げるファミケアに出会いジョインをする。
経緯や想い、やっていきたいことは別の機会にまとめるとして、自分自身が当事者でもあると同時に同じ境遇の人達に自分の時間を使いたい、これが自分にとってのミッションなのかもしれない思えた
3)障がい児育児は大変だけれども
人工呼吸器やモニターのアラームが適宜鳴ったり、介助が必要だったりと"普通"の子育てとは違う医ケア児育児。(※健常児育児が大変ではないって意味ではないです)
大変じゃないと言ったら嘘になるけど、それでも楽しいや嬉しいと思える瞬間は多々ある。我が家にとっては医ケアがある育児がある種の普通になった。”普通”の子育ては経験したことないからわからないけど、子育てを今できているし、やりがいというか喜びを味わいながら子育てが出来ている。
4)2024年の話
2023年は余裕が全くない、なんとか生き抜いた1年だった。ビジネスマンとしての成長は働けていない分これまでと同じようにはいかないが、逆境を乗り越えて、人間としての成長は確実にした。人が何年、何十年と経験するような経験や苦労を今年1年でギュッと濃縮して味わった。
今年は余裕が1ミリもなかった分、「余裕」をキーワードに来年はいろんなことにチャレンジしていきたい。
紆余曲折していくつかののチャンスを手に入れたので、社会に役立つことに挑戦し続けたいです。好きな人と好きな仕事に打ち込む時間は、とても価値があると感じています。確かに大変なこともあるけど、学んだことを活かしていろいろ試していきたいですね。
それではまた来年。みなさま良いお年を。
今年もお疲れ様でした。新年会しましょうね。
おまけ)2023年をXの投稿で振り返る
前提:2023年より前からの流れ
息子氏が22年7月に生まれ筋肉が生まれつき弱い先天性ミオパチーだとわかり、産後からずっと入院しつづけていた。気管切開の手術を経て1月に退院をして在宅生活を目指していた
1月
退院を前に役所系の事務手続きや医ケア児でも入れる保育園探しをはじめていた。
今振り返っても保育園に通い始めたのは息子自信の発育や刺激獲得、親の子育て以外の時間確保の観点で良かったなと思うのでGood jobだったなと
息子氏が退院予定の前日に発熱。タイムループしても発熱はさけれなかったなと
2023年の年始に熱を出し、今これを書いてる2023年の年末も発熱しているとはこのときはだれも想像も
189日の入院を経て、息子氏が家に帰ってきてバタバタだったけど愛おしい存在であるなと感じたことを今でも昨日のことのように覚えている
2月
このころはパスルオキシメーターの小型版があることを知らずに大きいもので移動してたので四苦八苦していた
それをツイートしたらXで先輩パパから小型版があることを教えてもらった
公的補助で購入できることがわかり早速買った
息子の退院以来、訪看さんやヘルパーさんなど多くの人が我が家に出入りするのとマンションのゲスト用の駐車場を多用し、他の住人さんからクレームが入った
事前に近所に挨拶まわりをして事情を伝えておけばクレームをもらうことはなかっただろうと反省している
お手紙を出してから、近隣のひとたちからは温かい言葉をかけてもらったりと理解をしてもらえた
最近はすっかり描く余力がなくなってしまったが、当時はほっぺに貼るシールにしっかりと絵を描きそしてそれを楽しんでいた
3月
3月は将来を見越してワンオペ力向上月間をはじめて、家事・育児など1人でなんでもできることをめざした
なんでもやれるスキルを習得するだけで、全部自分でやるわけでは無い
このときの取り組みが今振り返ってかなりGood jobで、おかげでこのあとある多々あるピンチも乗り越えられるようになった
保育園の面談用に息子の医ケアの内容や園側が懸念するだろうことと対策をまとめて資料にしてもっていった
日本初のヴィラ型ショートステイが仙台に出来たとプレスリリースを見かけたのをきっかけに見学しにいったり
4・5月
3月末に突然の交通事故で父を亡くし、4月・5月はまったくSNSをやってなかったことに今振り返って気がついた
ブラッシュアップライフできるのであればこの事故をどうにかしたい
6月
息子氏が児童発達支援に通う初めて、近い世代の子どもたちと遊んだり、新しい体験をたくさん重ねていった
児発に通い始めたのは息子の刺激獲得文脈としても、親が社会とつながる・外出機会を得るという文脈でも大事だったな振り返って思う
このタイミングで通い始めたのはいい選択だった
ひろゆきさんのライブにスパチャを送ってみたり
よく絵本を読んでて、息子氏もページをめくるのどんどんうまくなり絵本読みの時間がとても愛おしい時間になっていった
7月
訪問看護の緊急訪問をお願いするハプニングがあった
平和な生活を送っていただけに、このときばかりはさすがにやばいとも感じた
次の日にまた状態が悪くなり2週間以上入院することにもなった
6月に育休から復職して働いていたが医ケア児を育てながら働くことは急な体調不良や通院、親子分離できない通園等なかなか働く時間の捻出に苦労した
結果的に、約1ヶ月半復職したが無理だと感じ再び育休を取得することになった
息子氏の1歳を祝ったり
8月
生まれてはじめて息子氏散髪を。訪問理容は体験としてはよかったが今考えると高かったなと。。笑
のちのち自分で切れることに気づき、もっとはやく試しておけばよかったなと
9月
この頃あたりから手がだいぶ上がるようになってきたので赤ちゃん用のスマホアプリで遊んでみたり
10月
年始からの保活が功を奏してか10月から保育園に通園をはじめた
週1通園から徐々にスタートだが息子はとっても楽しそうに過ごしているみたいでこの選択は大正解だったなと
息子との生活に密着取材が入り、息子との、医療的ケア児との生活や過ごし方を振り返ったり色々と考えさせられた
息子のケア、家族のケアに加えて母が体調崩して病院受診に付き添ったらまさかの自分が病院で倒れるという。ケアが3つ同時に重なると身体的にきついことをこのハプニングで学んだ
リポDを3日連続で飲まざると得ない状況だった
11月
22年のクリスマスはまだ入院していたので、初めての在宅でのクリスマス準備
まだまだぎこちないけど道具を使う動作も少しづつうまくなったり
12月
喃語は出てたけど、はじめて大人が言った言葉を真似して言えたりと成長が垣間見れた
「パパ」でも「ママ」でもなく「あった」が息子氏の初めての発語だった
大学生の前で話をする機会をもらい、医ケア児との生活や「普通とはなにか?」を一緒に考えることをした
カニューレが閉塞してしまったり、風邪を引いて1週間こもったりと冬の洗礼も受けた
日曜朝のキングオージャー鑑賞はすっかり習慣に
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