自分の生活について
新生活にも少しずつ慣れていく中で、誰も知り合いのいない土地で今日も一人でいる寂しさに心が馴染んでいく。
シェアハウスに住んでいた身としては、みんなといると楽しいけどたまに無性に一人になりたくなる時もあった。でも段々一人の時間が飽和してそれが寂しさに変わっていく。
自分ってこんなにも寂しがり屋だったんだ
やっぱり頭で思っていたことと、実際に起こることは雲泥の差がある。
少し考えが甘かったし、もっと知り合いのいる土地に行けば良かったと少し後悔もある。
元々就職活動をしていた去年は「我が人生最大の谷」と言っても過言ではないほど、真っ逆さまに急降下した人生だった。そんな中で決めた就職先は、中小メーカー、、面白そうという直感と取締役の人に興味を持ったという2つの動機で内定を承諾した。
就活からの逃げもあったが、そもそも就活、長期インターン、デザインスクール、バイト、サークル、ビジネススクール、などなど色々手を出していたのと失恋でぶっ壊れた心はいとも簡単にそれまでやる気に満ち溢れていた自分をぶっ壊した。
ひどい日は本当に家から出れなくて一日中横になることしかできなかった。
本当に卒業できるか出来ないかのギリギリまで追い込まれていて、このまま人生どうなるんだろう?、、、
そんな答えの浮かばない、永遠の不安ばかりが頭によぎっていた毎日だった。
何回か追い込まれてやってはいけないこともした。
包丁を手にあててじっと考えこんだり、高いところからじっと地面を見つめてみたり、一番は本気で自分の首を絞めたこと、
喉の奥の動いちゃいけない何かがゴリっと動いて痛苦しかった。
そんな自傷を繰り返すほどに追い込まれていた。
でも、神様っていうのはどうやらいるみたいで、教授の情けで卒業はできたみたいで無事就職はできた。
若干の後悔を引きずりながら、なんとか生きている毎日だが、ふと一人の時間が増えて自分の好きなものとかなんだろう?とか落ち着いて振り替える時間が増えた。
やっぱり自分は元カノのことが大好きだったんだなっていうのを1年経った今でもその思いはブレない。
でも、その中に自分の軸みたいなものが感じれなくなった。どこまでも他人軸な恋愛は本当の恋愛なんだろうか?
異性の魅力に惚れ続けて、なんだか受動的な恋愛をしていたなと感じた。能動的に自分の好きな気持ちを伝えて、愛をぶつける真剣な恋愛をできたのだろうか?
そう考えた時に自分は彼女の魅力に圧倒されているだけかもしれないなと感じた。
僕という小さな男にはあまりも大きくて素敵な人であったし、それに甘んじていた自分がいた。
そのことがあるからよりを戻さなかった。いや、戻せなかった。心のどこかで逃げた自分がいたんだと思う。
自分はこんなにも弱い醜い人間だと気づいた瞬間
本当にこの世から消えたくなった。もう誰にも会いたくないと思った。
幸いにもその願いが叶う場所にいる。地方都市で昔の知人は誰一人いない中で落ち着いて暮らしてみる。
給料は決して多くないけど、定時で上がれて自分の時間を大切に持てる。
社員思いの会社。
餓鬼のような餓えて鬼のように欲求がある人ではなく。
少しの幸せを繊細に感じ取って暮らせる軽い人になるための練習だと思ってる。
今飲んでいるコーヒー1つを取ってみても、この美味しさに集中して感じ取れば立派な幸せ。
もっと物事を繊細に感じ取れて、海のように凪ぐことを大切にしつつも時には焚き火の火柱の中心のように煌々と煌めく火のように輝きを放つ人生を歩むのが目標
人生の中で置いていかなきゃいけなこと、大切にしなきゃいけないことを大切にしてこの目標の道をゆっくりと歩んでいきたい。
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