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メディアインキュベートを起業した理由と今までとこれから…2社目までの話と混在する。

3月30日に設立から4周年を迎えました。

また、本日、#AprillDreamに共感して「Media Incubate Fund」についてリリースを打ちました。

メディアインキュベートでやりたいことは、またやってきて思ったことは、「全力で形にしたいと思って取り組んでいる人を応援したい」ということです。

僕も頑張ってる、みんな頑張ってる。頑張っていることはとても大切。しかし、それがポーズになっていることも多い。それは自戒も込めて。

ポーズはいい。ポーズはいいから、取り組み続けて欲しい。そんなに取り組んでいないんだと思う。僕もポーズが長い。この書いていることすら、ポーズかもしれない。ふりが得意になると抜けずらくなる。それは辞めたい。

本当に本当に辞めたい。

メディアインキュベート を起業したのは、積極的な理由ではなかったと思う。かっこいい理由でもなんでもない。ずっと起業したいと思ってきた。今は「起業したいんです」という人を見ると、「すればいいのに」と思うことも多い。

けど、自分は今もそうだが、典型的な揶揄されるような「意識高い系」だった、今も?かな。だと思う。

けど、どうしても、なんとかしたい。どうしても進みたい。なんとか成し遂げたい。尊敬する有山さんに「偉くなりたいの?お金持ちになりたいの?」と聞かれることがある。

・・・どうなんだろう。お金持ちにはなりたいと思う。家族、家庭を守れるくらいに。安定的な生活をできるくらいには。

けど、どうなんだろうな。偉くなりたいというよりかは、ずっと「死にたくない、死んでたまるか」でやってきた気がする。今もお金持ちになりたいというよりかは、そっちの方が感覚が近い。

家族もできて、少しずつ年齢も重ねて、当然ながら若手ではない。新卒は建設機械のレンタルの営業職として、茨城県を車で回り続けた。

マイナビとかの先輩情報に掲載してもらっていたが、1年半の退職ということもあり、消えてしまったのは覚えている。

とにかくガムシャラに営業とは何か、を読み漁って「営業とは数と成約率だ」とかいう言葉を見て、チラシ営業をひたすらしていたのを思い出す。

工事現場を訪問して、どうしていいかわからないが、なんとなくおにぎりを買って届けたりもした。あれでよかったのか…もう少しあっただろうな…

その後は、どうしてもメディア関係の仕事がしたいと思い、転職活動をした。もう少し勤めたら、ということをLINEの二次面接で言われた時はとても悲しかった…茨城から行ったが、そこに言及してくれて、気にかけてくれたのは古賀さんだけだった。覚えてる。ちゃんと。ありがたかった。

けど入りたかったw

そうして、縁をいただいたのが兼松グランクスだった。

当時、自分がいた頃は電子書籍、映像、ニュースの流通から、メディアレップなどもやっていた。当時はどうしても広告代理店とメディアレップの違いがよくわからなかった。

そうこうして、最初は何からしてよいかわからない。初めてのスーツで出勤だ。スーツで来なくていいよ、と言われても、どうしてもスーツが良かった。作業着が嫌だった。スーツを着て仕事をしたかった。

いろんな経験をさせてもらった。とにかく名刺を渡すのも、とにかくオフィスに行くのも、変な感じだった。全く異世界だった。

メールに送り方も教えてもらった。当時の上司は柳さんだ。柳さんにはとても感謝している。すごく丁寧に、丁寧に、いや、丁寧かわからないけど、でも、すごく優しく教わったと思う。優しいとかそういうことじゃない。

ちゃんと教えてもらった。厳しくも。理不尽でもなく。お客さんも柳さんをとても信頼していた。それをいつも感じていた。僕から見た柳さんは、会社の中心となるようなキーサービスを作り続けているように思えた。

すごく覚えているのは「間にいる理由、その介在価値をどうつくるのか、出ないといる意味はないんだから」という言葉は、今でも覚えている。

ここではメディア関連の仕事の基礎を教わったと思う。本当に本当にありがたかった。吉田さん、大原さんとも出会ったのもこの頃だ。

本当に楽しかった。毎日、ニュースを読んでよいのが、嬉しかった。不思議な気分だった。

「仕事なんだけど、ニュース読んでいていいのか…」

いや、そういうことではない。皆さん、新聞、雑誌を徹底的に読破した上で論調を決めていた。インテリジェンスっていうのが、いつ使うのが適切なのか、よくわかってないけど、これがそうなのかな…とも思った。

「記者」、憧れていた記者。その姿があるような気がした。あーこんな感じなのかーすごいなーまじかーメディアすごーって。

今でも大好きな映画は「クライマーズ・ハイ」「新聞記者」「ペンタゴン・ペーパーズ 」だ。

大学時代は一応学士はメディアなので、ジャーナリズムの本を読み漁ったりもした。ジャーナリストになりたかった。今はどうだろう。その思いがいつの間にか、消えてしまったのだろうか。

でも、どうだろう。忙殺されていた毎日、考える時間もなかった毎日、だったと思う。今、このnoteを書いている中で、いろんなことを思い出してきた。なんでメディアインキュベートを創業したのか。なんで、メディアの仕事をしているのか。色々関連している。全部つながっている。全部、全部。

日刊ゲンダイ様とのお仕事はとっても勉強になった。すごく楽しくて仕方がなかった。メディア業界ってどうなっているんだろう、というのを垣間見たような気がした。本当に本当に助けていただいた。今も昔もそう。もっとちゃんとした人にならなきゃと思う。

いつかちゃんと恩返しをしたい。一言一言、意外とちゃんと覚えてる。毎日、毎週、よくわからないけど、ちゃんと覚えたくて、図書館に通ったのを覚えている。

php…?cakephp…?wordpress…?え…?と、分厚い本をとりあえず読んで、MVCとは何かを考えたりしていた。柳さんには「そうじゃないよ、そこじゃないよ」と言われながら。今はそれがとってもわかる!w

そう考えると、少しは進んでいるのかな。そうなのかも。ロードバランサーとかもよくわからんかった。ん…CDNってなんすか…みたいな。

Akamai…?Cloudflare…?え…固定サーバー?クラウド?なにそれ。みたいな。ひたすらにやばかった。全然わからなかった。ココドコみたいな。

CPMってなに、英語やめて、imp?eCPMとの違いなに?みたいな。

もうそんな毎日だった。流石に今はわかるけど…課金サービス、SSP、決済、なんだなんだ、わからん、なんだーと。アドネットワークってなに、みたいな。

そんなこんなで、夏休みの対応とか、いろんなことを思い出す。いろんな会社があって、問い合わせて、どうしたらメディアのためになるんだろうと思って。

とにかくメディアに儲かって欲しかった。とにかく儲かって欲しかった。とにかくとにかく。実家の洗濯機の前でサーバーについて電話をもらったのを覚えている。でも、楽しかったなあ。楽しかった。とっても。とても。とにかく嬉しかった。

でも、なんだろうなあ。なんだかなあ、と思うこともあった。最初、何が何だかわからなくて、どうしてよいかわからなくて。なかなかうまくいかない日々が続いた。というか、なにをしてよいかわからなかったw

「とにかく、電話でも、なんでもして何かしろよ」と先輩に言われたのを覚えてる。なんでテレアポとか…この作業はなんの意味があるんだ…なにこれ…とか思っていた。なので、なかなかうまくはいかない。なのでとかじゃないけれども。うまくいかない日々が続いた。

しかし、ある時、柳さんと同行させてもらっていた時に、メディアが大好きなのを話した時に、「担当をしてみては?」と言ってもらえた。

え…なにそれ…えー?!みたいな。あーとにかく同行させてもらえること自体が、とにかく、ひたすらに楽しかった、ありがたかった。メディア、コンテンツ企業に触れることが、接点を持てるのが嬉しかった。

いろんな会社を受けたなあ。つい、最近のことだが、フジテレビの書類選考に通って、本当に嬉しかった。もう、何度通らず、悔しくて、だめだ、ダメじゃん、絶対無理じゃん、と思うことももう膨大にありすぎて考えたくない。絶対に考えたくない。辛い。それに尽きる。

なので、選考期限がすぎて、面接に進めなかったのは、本当に本当に悔しい。悔しいというか…でも嬉しかった。それだけでも、ちょっと頑張ってきてよかったな、と思った。よかったな、と思った。頑張っていいのかと思えた。こだわってきてよかったな、と思えた。このこだわりが、どこにつながるのかよくわかんないけど。

それ以上に、なんとかしなきゃという思いの方が、ずっとずっと強いけれども。なんとかしなきゃならない。

ということで仲間を募集しています。