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落語のお話【小三治さんのこと2】

小三治さんの師匠である先代小さんは亡くなるまでの、何年間でしたか、毎回、紀伊國屋寄席のトリを務めていました。

紀伊國屋寄席として、小さんに何らかの思い入れがあったのでしょう。
毎月開かれるこの会のトリは必ず小さんでした。
小さんもそれに応え、私が観ていた数年間、1度も休演したことは無かったと思います。

しかし、あのころの小さんには既に往時の勢いはなく、つぶやくようにボソボソと語っていました。
抑揚はほとんどなく、聞き取れない言葉もあり、正直なところ痛々しさを感じたほどでした。

年に何度か、中入り前に小三治さんが出演したことがあります。
トリが小さん、中入り前が小三治さん。
なんとも豪華な顔ぶれでしょう。

小三治さんがまくらで師匠小さんのことを話してくださることがありました。
そういうときの小三治さんは普段の高座では見ることのできない、とても嬉しそうな表情をしていました。
師匠のことが好きでならない。
無邪気にも見える表情でした。
押しも押されぬ存在だった小三治さんが師匠のことになるとこんなに甘えん坊のようになるところに、あの世界ならではの師匠と弟子の結びつきの強さを感じました。

その小三治さんが小さんについてこのような趣旨のことをおっしゃったことがあります。

「今の小さんが一番美しい。笑わせようとするわけでもなく、淡々と語る。自分もああなりたい。」

前座時代に師匠につけてもらったたった一度の稽古で、話し終えた小三治さんへの師匠のひと言。

「おめぇの噺はおもしろくねぇな」

「では、どうしたらおもしろくできるんですか」と聞くことはできなかった。
小さんにはそのくらい威厳があったといいます。

そこから小三治さんの苦しみが始まった。
その苦しみの末に「柳家小三治」が生まれた。

先ほど小さんが紀伊國屋寄席を休演したことは1度も無かったと書きました。
実は、1度だけあります。
いつもの通りに出演が予定されていた寄席の数日前に亡くなってしまったとき。

代演は小三治さんでした。
噺家の世界らしく、しみじみとすることはまったくなく、小さんの最期の様子をおもしろおかしく話してくださいました。

そして、「これまでありがとうございました」と幕が降りきるまで深々と頭を下げたのでした。