主人公は?
私の息子が幼稚園児だった今から30年ほど前のこと。
遊園地に遊びに行こうと家を出て駅に向かって歩いている時、息子は道端で虫や花を見つけてはしゃがみこんでそれを眺めたり、虫を手で取ったりで、一向に駅に近付きません。
私としては「早く遊園地に連れて行ってやりたい。早く行かないと向こうで遊ぶ時間が少なくなってしまう。」とやきもきしていました。
しかし、そこで気付いたのです。
「遊園地で遊ばせてやりたい」というのは私の勝手な思い。
息子にとっては駅に向かいながら途中途中で目に入るものすべてが「遊び」なのだ、と。
それからは息子が立ち止まったり、しゃがみこんだり、塀によじ登ったりしても、「それはそれでいいじゃないか。ゆっくりその時間を楽しみなさい。」という気持ちになりました。
また、あるときには、ディズニーランドに行こうと思い、息子もさぞ喜ぶだろうと「今日はディズニーランドに行こう」と言うと、息子は近くにある鉄道系の遊園地に行きたい、と言います。
その遊園地にはメリーゴーラウンドや観覧車など、「伝統的な」遊具があるだけで大人にとってはちっとも面白くないところです。
しかし、息子はそっちの方がいいと言います。
このときも同じ。
ディズニーランドの方が楽しいに決まっている、というのは大人の勝手な考え。
息子には息子なりにその遊園地の楽しみがあるのです。
「主人公」であるそのときどきの息子にとって、私は主人公を引き立てる脇役。
主人公が楽しめるのは何かを考えるようになりました。