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昭和99年

今年、2024年は「昭和99年」だそうです。

それに合わせて日本経済新聞に「昭和99年 ニッポン反転」という特集が組まれています。

「日本を世界第2位の経済大国に成長させた昭和のシステムは、99年目となると時代に合わなくなった。」

といった文章が目に入ります。

私は、定年退職後、今の職場でパート社員として勤務しています。
同僚のほとんどは20歳代、30歳代です。
同年代はいません。
そこに彼らの親よりも年長の私がいるわけですが、「ポツン」となることなく、みなさん親しく接してくれています。
それはそれとして、彼らの仕事ぶりや生活ぶりを見ていると、「根を詰める」とか「とことん」という言葉を感じないのです。

それに対して、「ったくぅ…」と思うことも多々ありますが、その考えを変えるべきなのではないか、とも思っています。

先日、この場に映画「男はつらいよ」のことを書きました。
あの役者さんたちのような雰囲気を出せる俳優さんが今いるだろうかという思い。
その裏には「一部の苦労を知らない今の俳優には…」という気持ちが、正直なところ、あります。

しかし、この「根を詰める」とか「苦労」という考えこそが「昭和」なのではないかと思うのです。

私は1年浪人して大学に入りました。
大学生活の中で何度となく「現役のくせに」「あいつら(現役)は苦労を知らない」という思いを抱いたり口にしたりしたことがあります。
1度で入試に合格できなかった「劣等生」が、浪人することなく合格した「優等生」を小バカにする。
なんともおかしなことですが、社会にもそういう風潮があったのではないでしょうか。

苦労や下積みが美徳とされた「昭和」。

今はどうでしょう。
芸能界でいえば、街でスカウトされたり、オーディションで合格してすんなりアイドルになれる。
歌も演技も薄っぺらで上手くもないのにもてはやされる。
そして、すぐに消え、また新たなアイドルが出てくる。
深みも味もあったものではありません。

仕事では、大した経験もないのに突飛なことを言ったり、したりする。
「思いつきで言うな」「もっと経験を積んでしっかり考えろ」などと思うことがありました。

しかし、どうなのでしょう。
歌や演技が「薄っぺら」ではいけないのでしょうか?
あるいは、そもそも「昭和人」が感じる「薄っぺら」とか「上手い」は今の基準ではどうなのでしょう。
もしかしたら、そう思う人のほうが少なくなっているのではないか、そういう概念すらないのではないか、とも思うのです。

仕事での「思いつき」は昭和の私には思いもつかない「独創的」な発想と考えるべきなのかもしれません。

Appleの創業者、スティーブ・ジョブス氏は当初、その突飛な発想ゆえに異端児とされていました。
しかし、その「突飛」さが生んだ製品の数々は周知の通りです。

一時期、「企業内起業」ということが盛んにおこなわれたことがあります。
斬新な発想で、それまでその企業にはなかった新たな事業を興すために、社員に挑戦の機会を与えるというものでした。
しかし、成果が少なかったのか、いつのまにか聞かなくなりましたが、最近こんな会社があることを知りました。
その会社では社員に新たな試みをすることを認めているのですが、それだけでなく、結果を出せずに失敗した中で「優秀」なものを表彰するというのです。
失敗を恐れることなく社員に挑戦させる。
このような発想こそ表彰したくなります。

冒頭に挙げた特集の初回の結びの文章。

「思い出は大切にしつつ、昭和から解き放たれるべき時がきている。」