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絵画教室

今はコロナで中断していますが、私は地元にある知的障害者の入所施設でボランティア活動をしています。
ここでボランティアを始めたのは2000年の秋のこと。
2000年といえば、介護保険制度が始まった年です。
自分も福祉に関わる何かをしたい、という思いから家の近くにあるこの施設に飛び込みで行きました。

この施設に入所しているのは重度・最重度の知的障害者です。
飛び込んでいったものの、知的障害者と接するのは初めてのことで、当初はだいぶ戸惑いました。
しかし、職員の方々の温かい配慮のおかげで徐々に慣れてきました。
以来、これまでにいろんな活動をさせていただきました。
職員の方と一緒の散歩や外出の引率に始まり、部屋の掃除、入浴や食事のお手伝い、宿泊旅行やバス旅行への引率、日中活動のお手伝い、などなど。
最近は日中活動の一つである絵画の時間に行っていました。

絵画の時間になると三々五々、教室に集まってきます。
入所している方々だけでなく、通所でこの教室に参加している人たちもいます。

この教室には指導をする画家の先生がいらっしゃいます。
ただ、「指導」とは言っても、決して「ああしたらいい」「こうしたらいい」というようなことは一切言いません。

クレヨンが好きな人、絵の具が好きな人、マジックが好きな人、紙切りが好きな人、今日はクレヨンだけど次のときは絵の具の人、それぞれです。
先生はそれぞれの人にあった画材を見極めて選びます。

いつもは激しく動き回ったり、叫んだりしている人もこの部屋に入ると、自分の席に着き、画用紙に向かって黙々と絵を描き始めます。

体全体を使って、汗だくになりながら大きな画用紙いっぱいに絵を描く人。
見たまま、覚えているままを緻密に描く人。

クレヨンで描いた絵の上に絵の具を重ねる人。
せっかくクレヨンで描いた絵が見えなくなってしまいます。
でも、「せっかく」と思うのは私の主観。
この人はそうしたいのです。
もちろん、先生は何もおっしゃいません。

絵を描きながらも盛んに先生に向かって叫び続ける人がいます。
先生が「見てますよ~」と言うと、安心してまた画用紙に向かいます。
私が同じことをしてもそうはなりません。
やはり先生に見てもらいたいのです。

このような先生と皆さんのやりとり。
そうやって出来上がった作品の数々。
感動的な時間です。