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【日本語、雑感(その参)】

私が普段自然に使っている言葉の中に世間では死語とされているものがあります。

「乳母車」「衣紋掛け(えもんかけ)」「テレビのチャンネルを回す」「電話番号を回す」...
今、これらの言葉を発すると「何それ?」という顔をされます。
これらはその言葉を表す物が無くなっている以上、仕方のないことでしょう。

「乳母」がいなくなった現代に「乳母車」が死語になるのは仕方がありません。
今は「ベビーカー」と言うんですね。

「衣紋掛け」はとても美しい響きだと思うのですが、今は「ハンガー」と言わないと通じないようです。
今、「衣紋掛け」というと、和服を掛けておく「衣桁(いこう)」を意味するらしいのですが、この「衣桁」も目にするのは時代劇の中くらいですね。

テレビのチャンネルや電話のダイヤルが「回すもの」だったことを知っている世代のほうが少なくなっているのかもしれません。

一方で、元々の形が失われているのに、依然として昔ながらの言葉が使われ続けているものもあります。
例えば、電車の網棚。
今、あの「網棚」が「網」だったことを知っている人はどのくらいいるでしょうか。
いずれこの「網棚」という言葉もなくなるのかもしれませんが、いったい何と呼ばれるようになるのでしょうね。

他にもあります。
下駄箱、懐が寂しい/寒い、財布の紐が固いなど。
下駄、懐、財布の紐はいずれも見ることが少なくなっています。
これらも遅かれ早かれ死語になるのでしょうね。